日本ニュース 戦後編 第146号
1948年(昭和23年)10月26日
[1]李大統領東京へ 00:58
大韓民国初代大統領イ·スンマン(李承晩)博士夫妻は、10月19日、マッカーサー元帥の出迎えをうけて、殷々たる礼砲の轟くうちを東京·羽田飛行場に到着しました。当日、イ大統領は改めて総司令部にマッカーサー元帥を訪問しました。
[2]東久邇氏登場 -不当財産委員会- 01:02
10月20日の不当財産委員会は、終戦当時の兵器処理問題について、東久邇元首相ほか4名を召喚。兵器処理の方針を前の鈴木内閣から受け継いだかどうかを質し、その最高責任の所在を追及しました。
<委員長 武藤運十郎氏>
28日になって取り消しの命令を出しておるんです。このことについてご承知がありましたらばなるべく詳しく述べてください。
<元首相 東久邇稔彦氏>
あまりに全国に広がって多いので、また陸海軍がお互いに機密、秘密を守っておりましたので。
<委員 徳田球一氏>
この重大な事件が後継内閣になんら引き継ぎのなかったということにつきましては、なんとしてもこれは理解できないことであります。
<元首相 東久邇稔彦氏>
私は20年の8月11日に大命を拝するまでは政治に関係しておりませんから、日本の政府のしきたりであったかどうかは私はこの点は知りません。
[3]秋祭三題 01:12
〈川越(埼玉)〉
秋はお祭りのシーズン。まず関東では、10月14、15の両日、埼玉県川越の商工まつり。300年の伝統を誇る10数台の山車が出て街は万余の人でうずまりました。
〈大分〉
これは10月9日から3日間行われた九州大分市の復興祭り。まことに奇妙な扮装の人たちが練り歩くこの仮装行列が人気を呼びました。
〈三谷(愛知)〉
お次は愛知県三谷町八剱神社の秋祭り。ここでは4台の山車が海を渡ります。これは酔っぱらい。郷土色豊かな各地の秋祭りでした。
[4]東宝争議ついに妥結 01:32
全国ストに発展するかに見えた東宝争議は、組合幹部20名が自発的に辞職を申し出て、10月19日、急転直下、仮調印の運びとなりました。仮調印を終わって渡辺社長と日映演伊藤委員長は握手を交わし、半年の間もみにもんだ大争議もここに解決への第一歩を踏み出しました。東宝砧撮影所の門は半年ぶりに開かれ、10月20日、組合員は歌声も高らかに撮影所に入りました。五所平之助監督はその感想を次のように語りました。
<五所平之介監督>
よい映画を作るために、私たちの芸術的闘争は、結局これで終わったのではなくて、もっと長く険しいいばらの道だと思っています。私は、作家としてですね、信念を持って、あくまでその信念の正しい道に歩もうと私は思っているんです。
[5]おイモ山のごとく.. 01:10
動物園ではキリン君がおイモをもらってほくほくです。見ている人間のほうもおイモ。東京の街ではときならぬおイモの山。食糧公団では懸命の配給。だが、まだまだ、東京·汐留駅ではためておいて腐っては大変とトラックでどんどんと配給所へ。それどころか、生産地のアルコール工場にもおイモはあふれ、これでもかというこのおイモ騒ぎは、農林省の作付け割り当ての見当違いからだそうです。
[6]吉田内閣発足 01:23
組閣本部、だれが入閣するやらわからないというので、報道陣も手持ち無沙汰の体。その新聞記者の目をぬすんで星島、広川両氏がなにやらひそひそ。テント村には将棋盤なども持ち込まれ、車が入るたびにそれっとばかりに駆け込んで伺って見る吉田氏の顔色から、これは相当難航かと思われましたが、案外すらすらと、10月19日にはどうやら吉田内閣が成立。閣僚ニューフェースのモーニング姿がそろいました。だが、この間、16日には早くも佐藤官房長官を相手に、全逓の土橋氏が前内閣から続きの賃上げなどの要求を引っさげて乗り込み、18日には電産の組合が組閣本部前をデモるなど、風当たりは侮りがたいものがあり、多難な前途を思わせながら、10月19日夜には吉田新首相を囲んで初閣議が開かれました。
