叶盛吉日记>19480912
09月12日(日)
晴
早朝に起き三轮车で驿に行ったが金陵号はかへず、やむなくA.M.9.00の特快2等で行く。
对号でないのでこんで困った。
而もごみごみしてゐる。
车窗の景色单调なり。
山殆んどなくだらだらつづく稻田ばかり、稻はもう黄金色だ。
6时间半もかゝる长い车程だ。
午阳がさしてあつい。
南京(近く)にはすばらしい城壁がめにつく。
★父に封信(airmail)南京より。
午后3.25.南京着。
妙な形の站だ。
而し、首都としての新しい构さうがある。
バスで建康路にある台湾银行分行(电21509)に向ふ。
南京とは实にだゝつ广い町だ。
道幅广く、官广[庁]、银行の建物多し。
きれいなスラリとした街路とゴミゴミした万华のやうな所が混在してゐるが、所々に建造中の家があって、何となく、建设乃至は复兴途上にある町である感じをうける。
壮大な街路がつづく。
家の切れた广っぱもあって上海のやうなきう窟さはない。
のびのびとしてゐる。
总经理の名刺と、林仲义氏の同窗がゐた关系でどうやらたかれさうだ。
一しよに秦淮桥【1】を互ってブラブラ下町を散索[策]する。
やはり中国式のゴタゴタさだ。
一しよにトリンケンする。
こゝは女给士で、すべては男の手でやる
国内にしては珍しかった。
又日本语を知ってゐる奴もゐる。
夜は马车に摇られつゝ司法院の招待所(鼓楼5条巷1把)に行く。
こゝに泊めてもらふ。
途中ネオンが美しい。
街路の真直で长いこと。
さすがに雄大な都市たるに背かぬ。
内战なかりせば、南京はどれだけ复兴したことだらうとつくづく思ふ。
“大陆の上を踏んでからもう10日になる。
习惯の相违にも少しく驯れてきた。
一般にうけた感じは思ったよりもgefahrでなくて、而も都市の割合近代化して居り秩序もあるといった点だ。
しかし之は表面的かも知れない。
我々は惠まれた旅行をしてゐるのでその里面はわからぬ。
只中国といふところはピンからキリまであるところだと思った。
お金のある奴にとってはこれ以上快适なところはない。
Poorは长年の压迫によってすっかりおとなしくなって、召使、给仕などは实に顺だ。
如何なる人でも思ひ思ひに几通りにも生活できる。
中国の病院にのこる者のゲンミツな陶[淘]汰制度はacademicでない。
何故なら其处に于ては常に或る一种の性格をもったもののみが延びる机会をもつからである。
划一的な人间ばかり、型にはまった医者のみを作る结果になりはしないだらうか。
やはり台湾のやうに清浊会はせ饮むといった方がよい。
ガチガチ每年陶[淘]汰になやまされてやるよりはのんびりと自由にやった方がよい。
但し统一なく、马々虎々でも困るけれど。”
立法院の招待所は实によい。
室がきれで皆金网あり。
ベットも大きくてスプリングが效く。
南京の朝はすずしい。
09月12日(日)
晴
早起搭三轮车去车站搭金陵号却赶不上,只好搭上午九时的特快二等回去。
不是对号车所以很挤,伤脑筋,而且很脏。
窗外的景色单调。
几乎没有山,都是一望无际的稻田,稻子呈现金黄色。
长达六小时半的漫长车程。
太阳西晒很热。
南京(附近)看到壮观的城墙。
★自南京写信给父亲(airmail)。
下午三时二十五分抵达南京,车站的造型奇妙,且是属于首都的新颖构造。
搭公车到位于建康路的台湾银行分行(电21509)。
南京真是个广阔的城市。
道路宽广、官厅、银行等建筑很多。
洁净整齐的大道与有如万华般脏乱的地方共处,到处都是建造中的房屋,总令人感觉是一座建设或重建中的城市。
有壮观的大街,房子都很宽广,不像上海那样局促,都很宽阔。
有总经理的名片,以及有林仲义的同学在的关系,似乎就比较顺利。
一起跨过秦淮桥逛逛老街。
果然是中国式的杂乱。
一起喝酒。
这里没有女服务生,都是男服务生,在国内而言很少见。
甚至有懂日语的人。
晚上坐在摇曳的马车到司法院招待所(鼓楼五条巷1把),在此住宿。
途中的霓虹灯灿烂,道路又直又长,不愧是个雄伟的都市。
不禁想起等到内战结束,南京将会复兴成什么样貌。
“踏上大陆已经十天了,逐渐习惯了风俗的不同。
一般觉得不像想像中危险,且都市相当近代化,也有一定的秩序。
但或许这只是表面印象。
我们这种高级的旅行看不到深层的部分。
只觉得中国这个地方应有尽有。
对有钱人来说也许没有比这里舒适的地方。
穷人受到长年压迫而变得温顺,仆人、佣人都相当顺从。
如何让每个人都能过自己想过的生活呢?
留在中国医院者,其严密的淘汰制度不具学术性,因为似乎是具有某种性格特质的人才有留下来的机会,只有整齐划一的人,该不会只培育一种类型的医生吧?
还是像在台湾有各式各样的医生较好。
与其每年严格地淘汰,还不如让大家自由发挥较好。
虽然不统一,马马虎虎也不好。”
立法院招待所真的很好。
隔间处都有铁窗,床很大,弹簧感觉舒服。
南京的早上很凉快。
【注】
【1】秦淮桥:推测为秦淮河上的桥,正确名称应为“赛虹桥”。
赛虹桥历史悠久,众说纷纭。
传说朱元璋修筑外郭城时,规定由工部和应天府分段承揽。
应天府负责的工程竣工后,用工程余款造了一座桥,取名“赛工桥”,意谓赛过工部的桥。
传明代编史官为了避免“赛工”有辱工部,又迴避与沈万三有关的“赛公”的传说,于是藉用唐代诗人杜牧《阿房宫赋》中的:“长桥卧波,未云何龙?
复道行空,不霁何虹?”词句,而改称“赛虹桥”。
(王凯,〈秦淮河映射出的南京历史文化〉,《江苏水利》,2006年4期,页44)
