杨基振日记>19480523
(母の死
5/23
旧4/15)
昨日母の容体が少し良くなったので多少安堵の余裕を得た。
昨日输血したせいで精神的に疲れを觉えて今日は日曜でもあるので特に迟く起きた。
10时顷李昌盛君来访、昨夜彼の父が母逝去の梦を见たのでかけつけて来たとか杂谈を交して11时去った。
暂くして吴三连兄、洪炎秋兄、周耀星兄、赖尚昆兄来访。
何れも母が昨日午后4时逝去されしとてお悔やみに来られた。
どうした间违ひであらう。
昨日こそは热も下り、脾脏も小さくなり肺炎も大部よくなって输血迄したのに……。
そして自分は神にすがり如何に母の恢复を念愿したことか。
12时顷五婶、干兄、基流、义夫が清水からかけつけ、やはり母の不幸をきいて急ぎ清水より来北されたとの事だ。
薄气味恶い乍らも此等のお客接待の为に终ひに午前中は病院に行けなかった。
博学の报告では昨日と大差ないとの事である。
然るに1时顷瑞虎が病院よりの报らせで母の容体が今朝急变し极めて警戒すべき情态にあるとの事で急ぎ碧莲に后事の一切を准备させ三人の子供を携へ、今朝驱けつけた亲属をも连れて病院へ着いたのが午后3时顷だった。
母は苦しさうに昏睡状态を继续し、入院以来の诸先生の努力も空しく全く绝望状态に陷り、唯时间の问题となった。
今は泣くに泪さへなく、母としても三人の可爱い幼い孙を残して死に行くはいかに辛いことでせう。
23才にして未亡人になり今年64才の母の一生は文字通一切を子供の为に牺牲にし、特に自分を谁よりも可爱がってくれた。
忆へば一昨年自分が二ヶ月间病床に伏した时、ああ母は如何に手厚く、慈み深く自分を看护したか。
それなのに入院以来18日母は私が病院で寝る苦しみを察して自分を宿泊させなかった。
一切の思出は走马灯の如くに走り自分は坚く母の手を握り乍らも何かの奇迹なきやと最后迄望みを弃てなかった。
6时顷肇嘉哥、吴金川、基椿等も病院へ见舞に来てくれた。
然るに6时半顷脉が急に弱くなりあっと云ふ间もなく6时35分に最后の息をとってしまった。
ああ神よ!
运命に何故に斯しも我に苛酷であるか。
二ヶ年二ヶ月に先づ最爱の妻を失ひ、今兹に慈母を丧ふ。
私の深き悲しみはぬぐふべくもない。
身边には二人の姊、碧莲、五婶と自分が居た。
死体は7时顷礼堂に移され6时40分顷林约东先生が日曜にも拘らずかけつけてくれたが终ひに间に合はなかった。
旧历15日の夜の月は殊の外に讶えて自分の悲しみを一层深めた。
生れて初めて人の最后を见、生れて初めてお通夜した。
二人の姊、碧莲そして景山、义夫等とお通夜した。
今日朝肇嘉哥から清水へ移棺して埋葬しろと云はれて自分の计画に动摇を生じこの事は私に大きな苦痛を与えた。
通夜の间に间に月光を浴びて街路を彷徨ふた时も此の事は强く头脑に残って恼まされた。
だが第一に自分の经济はとても肇嘉哥の提议に应ずる余裕なく更に家族の健康も之以上の奔走は许されざる程に、全部疲れ切ってしまった。
何しろ母は一年来病气して来たのである。
碧莲は妊娠中だし、三人の子供は健康未だに恢复せず自分も精神的に疲れ切ってゐる。
そして明日火葬にするを决心し午后3时に此の礼堂にて告别式をやることにした。
(母亲之死
5/23
旧历4/15)
05月23日
星期日
昨天母亲身体看来好许多,多少有点安心。
昨天不知是否因为输过血,精神不太好,加上今天是星期天,所以起得特别晚。
十点左右李昌盛君来访,昨晚他父亲梦到母亲过世,所以特别前来,闲聊许多,十一点离开。
不久,吴三连兄、洪炎秋兄、周耀星兄、赖尚昆兄前来,他们听说母亲昨天下午四点过世,前来吊唁。
真是大错特错。
明明昨天烧才退,脾脏小了,肺炎好多了,连血都输过。
我一心祈求上天,让母亲康复。
十二点五婶、干兄、基流、义夫从清水赶来,都是听说母亲病逝,急忙从清水来北。
让人感觉不大舒服,但仍为了招待他们,上午没去医院。
根据博学的报告,听说与昨天状况无异。
但一点瑞虎从医院来告,说母亲身体在早上突然出状况,现在进入紧急警戒的情况,急忙拜托碧莲准备一切后事后,带着三个孩子,以及今天早上急忙赶来的亲属前往病院。
母亲看起来很痛苦,持续昏睡,入院以来诸位医生的努力全部白费,我完全绝望,现在只是时间的问题了。
我现在欲哭无泪,连母亲都要丢下三个可爱的孙子离去,事实何等残酷。
二十三岁丧夫,今天六十四岁的母亲一生都为孩子牺牲,对我尤其疼爱。
回想前年我病卧两个月时,母亲是何等细心慈爱地照顾我啊。
但入院以来十八天,母亲却体谅我夜宿医院的痛苦,不让我留宿。
一切回忆如走马灯般快转,我用力地握着母亲的手,到最后仍不放弃希望地乞求奇迹出现。
六点,肇嘉哥、吴金川、基椿等前来病院探病。
但六点半时脉搏突然变微弱,没多久,六点三十五分便咽下最后一口气。
啊!
神啊!
命运为何对我如此残酷。
两年两个月前先让我痛失爱妻,如今又丧失慈母。
我深切的痛苦无以复加。
母亲身边有两个姊姊、碧莲、五婶与我。
遗体于七点时移往礼堂,六点四十分林约东先生不顾星期天,兼程赶来,但还是来不及见到最后一面。
旧历15日的满月格外皎洁,徒然加深我的悲哀。
生平第一次送人最后一程,第一次守灵。
今天早上,肇嘉哥说要移棺到清水埋葬,我的计画产生动摇,这事让我很痛苦。
守灵时顶着月光在大街上彷徨,这事更是清楚映在脑里,困扰着我。
但第一,我的经济状况还没好到可以答应肇嘉哥的提议,而且家人已经十分操劳,身体也不堪如此长途拔[跋]涉。
更何况母亲病了一年了。
碧莲还在怀孕当中,三个孩子又没有恢复健康,我精神上也十分劳累。
决定明天火葬,下午三点在这个礼堂举行告别式。
