郭淑姿日记>19480118
“井户の中の蛙、大海知らず”、日々变りゆく情势を目击して、やはり日々を气苦劳乍らに送る人に比して、实に井户中の蛙は幸福にも见える。
いはば片田舍に住む鄙人は幸福さうである。
繁荣なる、そして文化の波にのって行く人は、人生の辛酸を痛切する事が多い事と思ふ。
さうかと、一面どういふ气乘りからか或は暇つぶし。
つれづれなる风のふきまわしか知らんけど、本行の男では、女行员の美人品评会をやったさうなと闻いた。
やらん事ない人达かなと思った。
こんな事も彼等には或る一种の趣味だからかと面白く思った。
彼等の趣味なら、自分にはさみしい气がする。
もっと有益なノーブル的な嗜好の持主たる本行の男ばかりだと思っても期待はづれだった。
人间て谁だって美しくなりたい。
しかし持って生れたる美貌を今更どうのこうのと思ったり叹いたりしたところで仕方がない。
美しいのはやはり见てゐて、气持恶く感ずる人てゐないはづ。
それだけに我々て自分が美人でないと、时に悲观に思ふ人もありませう。
それが普通だと思ふ。
しかし我々は、片具者を见る时に自分の幸福を见出すんだった。
そして美の人への羡望もかうる。
不具者への一场面に接する时に、自分现在の貌に感谢を抱くものである。
自分が美人でないからって、何も僻む必要はないと思った。
(三七、一、十八)
“井底之蛙,不知大海之广”,比起那些眼看着天天瞬息万变的情势,还是每天辛苦的人们而言,或许井底之蛙看来比较幸福。
看来住在所谓乡下的草地人也比较幸福的样子。
反而住在繁荣之处,在文化的浪潮中载浮载沈的人们,会经历较多人生的辛酸。
另一方面,不知是一时兴来还是太闲想打发时间,或是时潮风向的影响,听说本行的男行员竟开始对女行员展开了美貌品评会。
这些人真是吃饱太闲。
想一想也许这也算是他们的某种嗜好,就觉得蛮有趣的。
真是他们的嗜好的话,让我有落寞的感觉。
原来我所期待的是本行的男行员拥有的是有益且有高尚品味的嗜好,结果让我有些失望。
每个人都想变美丽。
然而对自己与生俱来的容貌想再多也没用。
大家都喜欢看美丽的人。
但也因而有时有人觉得自己长得不那么好看而感到悲观,这都是正常的。
但当我们看到残障者的时候会发觉自己的幸福。
同时对美貌者的羡慕之情也会改变。
接触残障者的场面时,我们会对自己的容貌抱着感恩的心。
不需要为了自己长得不好看而自卑。
(三七、一、十八)
