日本ニュース 戦後編 第102号
1947年(昭和22年)12月23日
[1]不安つのる師走の街 01:59
押し迫った師走の街に、警視庁は厳重な歳末警戒を始めました。12月12日夜、宮城前に変死体を発見。翌13日、二人組強盗の入った日本橋芳町のアパートを捜査。15日犯人護送の冷たい朝。16日夜はいかがわしいホテルを臨検しました。同夜、大森には三人組の強盗事件。
<被害者男性>
次女のあや子にここを傷を負わせていち早く逃走したんであります。
すぐその直後、同じ大森に10数名の集団強盗が電話線を切断して侵入。
<捜査員>
じゃあこんなようなピストルですか。
<被害者女性>
これよりか少し長いと、ここが長いと思いましたですね。
<捜査員>
ここの色は?
<被害者女性>
色は、よく私には覚えがないんですよ。
<捜査員>
だいたいね、何人くらい入りましたか。
<被害者>
……
<捜査員>
わからない?
<被害者>
はい。
<捜査員>
6、7人?
<被害者>
ええ。
<捜査員>
あんたはゆわかれて押し入れに入れられたんですね。
<被害者女性>
そうです。
<捜査員>
ゆわかれたときはどういう格好でゆわかれました?
<被害者女性>
こういうふうです。
<捜査員>
こういうようにして。
<被害者女性>
ええ。そして後ろへ。最初は前でしたけれど、その次は後ろでした。
凶悪犯の横行はやみそうもなく、警視庁は躍起の捜査を続けています。
[2]自己弁護つづく -東京裁判- 00:39
個人段階はいよいよ大詰めに近づきました。12月9日、白鳥被告は三国同盟についてはあまり関係がないとほのめかし、続いて12日、鈴木部門に入り、被告は物動計画をめぐって全く敗戦を知らなかったと述べました。15日、東郷被告の段階に移り真珠湾奇襲は軍部の責任であると述べて注目を集めました。
[3]雪とあそぶ 北海道<スポーツ> 00:38
北海道札幌の中島公園。スケートで羽根つきというお国自慢も見うけられます。
[4]東西サッカー早稲田勝つ 西宮<スポーツ> 00:49
東西学生一部優勝校対抗早大対関学のサッカー戦は、12月14日、西宮グランドで挙行。前半、風上を利して関学フォワードしばしば早大陣に迫りましたが、シュート決まらず1対1のままタイムアップ。後半に入って早大フォワード地力を発揮してオープン戦法を展開、みごとなドリブルで関学フルバックラインを抜き、24分、26分と続けさまに得点、さらに40分、早大磯谷ドリブルで関学陣に迫り、関学ゴールキーパー松田の逆モーションをついて光武シュート、とどめの1点を挙げ、結局4対1で早大は2連覇を遂げました。
[5]年末の表情 02:15
今年もやがて終わろうとしています。大阪戎橋付近の歳末風景。浮浪者親子には冷たい雨。東京浅草の観音様に一体何をお願いしようというのか。社会鍋、暦売り。職業安定所には食うに追われた人々が詰めかけています。12月18日には宮城前広場に20万の労働者が最低生活確保人民大会を開きました。
<男性弁士>
一部資本家階級を擁護するただ今の3党協定の片山内閣に対しましても、われわれは働く者の手によりまして働く者の生産復興運動を展開したいと思うのであります。
国会はお休み。栗栖蔵相、水谷商相は関西方面へ遊説に出かけました。西尾官房長官は補欠選挙応援のため新潟に向かいました。ひっそり閑とした永田町には片山首相がただ1人。
[6]酷寒にたたかう 青森·北海道 01:29
青森では12月10日から風速20メートルという猛吹雪に襲われました。このため列車のダイヤも大混乱。駅にはたちまち滞貨の山ができてしまいました。この零下13度という猛烈な寒さの中では休むところにも雪が吹き込み作業は困難をきわめています。
北海道でも12月12日、逓信従業員たちが大会を開き、この冬を働くために手当てを要求するなど、北国の生活の厳しさが感じられます。
