日本ニュース 戦後編 第100号
1947年(昭和22年)12月9日
[1]====== 日本ニュース 第100号 ======を迎えた日映ニュース(ニュース映画ができるまで) 01:49
「もしもしニュース部? こちらは共同通信社会部。ニュースが入っています」
<ニュース部員>
「はい。どうもありがとう」
日本ニュースは第====== 日本ニュース 第100号 ======を迎えました。共同通信社の緊密な協力のもとに、各地のニュースが本社に送られ、これらに基づいてカメラマンが八方に飛びます。
各地方への連絡もまた共同の通信網によって迅速に行なわれます。撮影されたフィルムは各地から特別便で本社宛てに発送。
集められたフィルムは最小限2時間半で現像され編集されてニュース映画ができあがります。
[2]北のはて-冬期漁場 北海道 01:09
日本の北の果て宗谷岬の灯台、灯台を守る人の生活にはことさらに厳しい冬。波の向こうに樺太があります。
かもめの群れ飛ぶ室蘭の沖合では今、たら漁のかき入れ時、この船の引き網は1日の水揚げざっと3000貫、これからどしどし外国にも送り出されます。
[3]今週の市ヶ谷法廷 01:06
終戦後3度目の12月8日を目の前に控えた市ヶ谷台上の東京裁判法廷。
きょうも東条以下戦犯容疑者たちは次々に被告席に着き、厳粛な審理が始まろうとしています。12月3日、佐藤[賢了]·重光[葵]両被告の個人弁護に入り、東条を首相に推薦した覚えはないという佐藤被告の立証が注目されました。
[4]政局なお混迷 01:19
例の石炭国管問題の余波で、とうとう民主党は二つに割れてしまいました。芦田派の声明。
<芦田派議員>
「党内民主主義の伝統に反し、党規約の鉄則に背反したものであって、われらはここに断固たる措置をとるのやむなきにさしいたった」
これに対し、除名された反対派は同志クラブを作って院内の1室に立て籠もっています。総帥の幣原氏。
<同志クラブ議員>
「われら25名の同志は、石炭国管法案に反対して民主党と決然袂を分かち、このたび同志クラブを結成しました」
その機をねらって自由党はあるところでそれぞれ額を集めて画策に熱中しています。
農相はまだ決まりません。後任といわれた社会党の野溝氏は手持ち無沙汰の体です。苫米地運輸相が辞表を出した日の閣議、これも何か奥歯にもののはさまったような雰囲気で、各大臣はそれぞれ複雑な表情です。
[5]天皇山陰へ 鳥取<時の話題> 00:29
11月28日、山陰地方にご旅行中の天皇陛下は、鳥取県倉吉町の家畜市場をごらんになりました。
[6]わが輩は猿である 東京<時の話題> 00:37
東京笹塚のキワダさんという家の猿は猫と仲良し。カメラマンから鏡をもらいました。この猿は猫をこんなに大きく育てたのだそうです。
[7]鹿の生け捕り失敗 馬毛島(鹿児島)<時の話題> 00:40
鹿児島沖合の無人島·馬毛島、ここにすむ野性の鹿を生け捕りにしようと種子島漁業組合の人たちは血相を変えて取り巻きました。だが、みんな逃げられてしまい、鹿を入れるはずだった大箱は全然役に立ちませんでした。
[8]大学高専十マイルレース 東京<スポーツ> 01:01
関東大学高専10マイルレースは、11月30日午後1時、代田橋を一斉にスタートしました。4マイル地点で中央の朝倉、明大·岡、文理大·小宮山一団となって力走。各選手相次いで井の頭の折り返し点にかかります。ゴール前1マイル、中央の朝倉、早稲田の大塚を抜いて明大の岡と猛烈な競り合いとなりましたが、最後の登り坂にかかって明大·岡はついに朝倉を抜き、56分19秒で優勝しました。
[9]電力の危機つづく 02:09
毎日々々の憂うつな停電続きで、街のろうそく屋さん、ランプ屋さんは大変な繁盛です。深川のある夜間の工業学校では、アセチレン灯でわずかに明かりをとっていますが、製図の勉強には目が痛そうです。
<福島>
福島県猪苗代湖は満々と水をたたえていますが、発電所のタービンは3か月も前に落雷で壊れたまま、資材難でいまだに修理が進んでいません。
<広島>
一方、広島県神龍湖の帝釈峡ダムは5月以来ほとんど雨が降らず、まったく発電力を失っています。
<神奈川>
これらのため工場への送電は日ごとに低下するばかりです。制限時間がくれば、送電を停止されてしまいます。この硫安工場では、設備の復旧はできていても生産はがた落ちで、お米の供出にも重大な影響を与えるのではないかといわれています。鉄工所では資材があっても肝心の電気炉が冷えきっています。こうして電力の危機は冬とともに深まり、その対策が真剣に望まれています。
