日本ニュース 戦后編 第92号
1947年(昭和22年)10月14日
[1]日本人に“新しい”祖先? 北海道 01:38
オホーツク海の波打ち寄せる北海道網走市で今、最寄貝塚が発掘されています。10月05日には約1千数百年前の生活を物語る土器そのほかがほとんど完全な形で姿を現しました。住まい跡から発見された壺の表に見る刻み文と押型文とはともに珍しいオホーツク海沿岸文化の特徴を示しています。かたわらの貝塚からは獣の骨や骨で作られた農具ばかりでなく、人の骨も出ています。これは8歳くらいの子供の骨で、頭蓋骨、肋骨、右、左の手、骨盤、曲げた足など、明瞭に見られます。大人の骨にも見られるように、顔の上にはすべて壺がかぶせてあります。これらの発掘によって、遠い昔、われわれの祖先のある者たちがこのオホーツク海の荒波を越えて日本に来たのではないかという興味ある問題も解かれようとしています。
[2]供米と平野さん<政界往来> 00:48
供出のやり直し割り当てが決まった翌日10月06日、食糧調整委員の代表は平野農相と懇談しました。
<食糧調整委員代表>
「実収高が現在の割り当てする予想収量に達しなくて販売に困るという現実の問題ができたときには大臣はこれに対して…」
<平野農相>
「ですから、これに対する答弁はですね、配給はするんだと、こう私が言っておればだね、それ以上不安でもだいたいわかりそうなもんだね」
<食糧調整委員代表>
「それがためには次の諸政策の断行を政府当局に切望する、要望する。一つ、米価決定委員会に農民代表を参加せしむること、二つ、生産費をつぐなう米価の決定」
[3]街頭の単独内閣<政界往来> 00:24
10月04日、片山首相は国会を東京日本橋のど真ん中に持ち出し、あっぱれの単独内閣ぶり。これは弥次喜多にならっての東海道五十三次国会膝栗毛の振り出しです。
[4]軍服事件の四氏収容<政界往来> 00:32
世耕事件のヤマ、軍服詐欺事件で塩月[学]、狭間[祐行]、藤川[文六]、中曽根[幾太郎]の四氏が、10月04日、東京地方検察庁に強制収容されました。このとき中曽根氏は、「徳義心からやったことで、やたらに法理論を振り回しても困る」と語りましたが、いずれも自由党への政治献金のため650万円を詐取したといわれています。
[5]法廷の“平和主義者” -東京裁判- 00:47
板垣被告の個人弁護に入った10月06日、証人·古野[伊之助]元同盟社長の口供書を朗読。
<古野元同盟社長>
内閣改造を断行し、杉山元陸相の后任には不拡大方針を実行し、和平解決に熱意を有する人物を迎える必要がある。それには板垣将軍が適任と思う。
当の板垣被告は、7日、証人台に立ちましたが、自ら平和主義者と称している彼に中国側倪検事から鋭い反対尋問が行われました。
[6]アメリカンフットボール 大阪<時の話題> 00:38
アメリカ第1軍団と25師団のアメリカンフットボールが10月05日、大阪花園グラウンドで行われました。息詰まる熱戦ののち、20対6で第1軍団の勝利となりました。
[7]「とん」走 旭川<時の話題> 00:23
10月06日、北海道は旭川市で行われた豚競走。元来わたしたちは走るようにはできていないとブーブーいっています。600メートルを5分30秒で美智子さんが1着。
[8]煙にまかれた日劇<時の話題> 00:30
10月正午、突如東京銀座日本劇場から煙が出ました。すわ大火事、アメリカ軍消防隊も出動、協力しています。幸い被害は皆無。それもそのはず、劇場は電休日、火事は防火週間の演習でした。
[9]水害地の子供たち 02:01
<埼玉>
あの恐ろしい関東大洪水から早や1か月、被害地の子供たちは今どうしているでしょうか。利根決壊口付近の東村小学校はまだ水びたし。教室も中もあのときのままです。子供たちは学校へのあこがれに濡れそぼれた教科書をていねいに一枚一枚干したりしています。いつになったら授業は始まるのでしょう。
<東京>
東京ではどうやら水が引きました。しかし、毎日の暮らしに喜びの少ない子供たちは回ってきたささやかな慰問にも明るい顔を取り戻しています。
