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日本ニュース 戦后編 第90号

1947年(昭和22年)9月30日

[1]ブラームス五十年祭開く 00:44

子守歌で名高いブラームスが逝いて50年、この記念演奏会が9月20日、日比谷公会堂で行われました。日本交響楽団演奏「ヴァイオリン協奏曲」。

(指揮をするレオニード·クロイツァ氏)

[2]個人段階進む -東京裁判- 00:59

9月18日、異様な風体の証人が喚問されました。日蓮宗僧侶小川喜一氏、橋本[欣五郎]被告の証人であります。やがて橋本被告が証人台に立ち、林弁護人が口供書を朗読。

<林弁護人>

「私は昭和5年(1930年10月、中佐以下の若い将校を集めて国内改造に関し、桜会という研究座談会を作りました」

19日、畑[俊六]被告の段階に入り、証人として宇垣元大将、米内元大将らが出廷、23日、キーナン検事は田中隆吉証人に米軍飛行士の死刑をだれが主張したかと鋭く反対尋問をしました。

[3]濁水ついに東京三区を呑む<関東大水害第二報> 03:39

9月19日午前2時ごろ桜堤を突き破った水は東京葛飾、江戸川区方面に浸入しました。さらに20日午前3時過ぎ、中川も中川橋付近でついに決壊、暗闇の亀有付近に猛烈な勢いで流れ込みました。夜が明けてみると決壊口は数倍に広がっています。水の速さは時速13キロといわれ、ほうぼうに逃げ后れた人々が残りました。

次の夜、危険はますます広がり、緊急避難命令に四ツ木、堀切方面の人たちはあわてて避難を始めました。家に取り残された人々を警察そのほかが舟を繰り出して救い出しています。小岩付近ではたちまち線路が水に洗われ、また浄水場に浸水したので飲料水がなく、救援隊は舟で井戸水を運んできて給水しています。食料に困った人々もあるようです。

<罹災者>

「(聞き取り困難)に対してですね、4日目に、やっと4日の晩にきたそのパンは一斤が、一斤を五人で分けろというんです。これは食べるんじゃなしでただなめる程度しかないですよ。きょうで水害の5日目ですね。政府の無責任きわまりないところはとんでもないですよ」

こうして江東3区、特に江戸川区はほとんど水びたしとなりました。

9月25日、天皇陛下は東京江戸川区方面の様子をごらんになりました。

[4]水魔一過 足利<関東大水害第二報> 00:47

一方、渡良瀬川沿岸、栃木県足利市もわずか5分ぐらいで怒濤のような水に押し流され、あとには山のような泥が残りました。水が速かったので、逃げ場を失い死んだ人もできて悲惨をきわめています。

[5]利根復興に着手 栗橋(埼玉)<関東大水害第二報> 01:03

大利根川の堤を切った水はいっこう減る模様もなく利根川本流と化しています。

鉄道線路上には避難者たちが籠城しています。栗橋駅はまだ水につかっていますが、すでに鉄道の復旧工事は始められました。

いずれにせよこの水を止めなければ、埼玉、東京にわたる水びたしも止むことがないので、切れた堤防をふさぐ工事が、古めかしい方法とはいえ、とにかく始められました。

[6]各地救援に起つ 東京·名古屋·大阪·京都 00:38

各地では関東水害に対する義援金募集が始められています。赤十字社をはじめ、電産、全逓などの労働組合が街頭に立って叫んでいます。

年月日/1947/19470930/19470930-t-jpn-dea-002-日本新闻.txt · 最后更改: 2025/07/21 15:19 (外部编辑)