日本ニュース 戦后編 第89号
1947年(昭和22年)9月23日
[1]荒木被告の証言つづく -東京裁判- 00:48
09月15日、引き続いて荒木被告証人台に立ち、カー検事が反対尋問を行いました。さらに荒木被告弁護のため眞崎元大将、石綿元宮内大臣らが証人台に立ちました。翌9月16日から土肥原被告の弁護段階に入りました。
[2]国勢調査近づく 00:26
<森田統計局長>
「今度の国勢調査と事業所調査は、日本の戦后経済の再建のための基礎となる統計資料を作る大切な調査であります。みなさんの申告は統計以外の目的には絶対に使用いたしませんから、真実を正確に申告してくださるようにくれぐれもお願いいたします。」
[3]六大学野球はじまる 01:02
09月16日、東京后楽園、秋の六大学野球は華々しく幕を開きました。第1日、入場式のあと、慶応対法政は4回まで1対1、慶応5回に一挙2点を獲得。結局、3アルファ対1で慶応の勝ち。
次の試合、早稲田対立教、早稲田のピッチャー荒川、投げました、飯塚、三遊間ヒット。ショート蔭山、逆シングルでとりそこない、ランナーセーフ。6回、立教は山西に始まる3本のヒットに2点を獲得。早稲田、9回に山下滑り込んで1点を返しましたが及ばず、2対1で立教に敗れました。
[4]特報 キャスリン台風被害甚大 大利根の濁水東京に達す 06:12
(犬吠埼)
キャスリン台風は9月15日午后から関東地方を襲い、関東全地方は未曾有の大水害に見舞われるにいたりました。
15日の夜中に大利根川の堤防が切れました。堤防の切れたところは長さ400メートルにわたるところもあり、戦争中から危ないといわれながらそのままになっていたところです。みるまに付近の数10か村をのんだ濁水は、16日正午ごろから埼玉県久喜町に流れ込み約2時間で全町を泥海と化しました。流れが早いため救援隊も近寄ることができず、罹災者たちは水も食料もないままにひたすら救いの手を待っています。
久喜駅は激流のまっただ中に置かれています。避病院では病人たちがかろうじて天井裏に避難しお医者さんが船で診察を続けています。水は南へ南へと向かいます。
一方、荒川の堤防も切れて忍から鴻巣方面に流れ込みました。屋根にはい登った人たちに星明りの濁流をおかして食料が分配されています。
利根川下流、取手は流木を拾う人たちでいっぱいです。
17日になると、荒川、利根川の出水は越ヶ谷、吉川付近で合流しました。越ヶ谷では土嚢で防ぐ一方、その水に追われるように緊急避難。
さらに翌18日、濁水は埼玉、東京境の東和村まで押し寄せました。東和村では農民たちがなんとかして食い止めようと悲しい努力を続けています。
しかし、その夜、9月19日午前1時40分、東京の最后の望みの綱、桜土手はついに決壊、東京都葛飾、足立両区はとうとうたる濁水の浸入をうけるにいたりました。
