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日本ニュース 戦后編 第71号

1947年(昭和22年)5月20日

[1]ひろがる波紋-値下げ運動- 01:21

05月09日、ヤミの世の中に憤慨して夫婦が自殺しました。大阪西区山王町の今井林蔵さん夫婦がそれで、インフレの世相はまことに深刻です。

このインフレを少しでも退治するために、経済警察では連日警察官を動員、値下げ運動に名を借るお菓子のヤミ取り締まりにまで乗り出しました。

東京目黒では5月13日、消費者と業者が高いものを買わない座談会を開きました。

<消費者>

「なにしろ今、物価も高こうございまして、こうした値下げ運動が起こされているんでざあますけれども、この値下げと同時に非常に目方に不正があるような気がいたします」

「ことに4月からまたこの3倍も運賃が値上げされる。そしてたばことか、すべて、郵便にいたしましても、ずいぶんだんだん高くなっていって、これではインフレを政府が自らそれを肯定しているとしか考えられません」

[2]銑鉄八千トン輸入 00:58

連合軍の許可を得て、銑鉄8000トンが輸入されることになり、5月10日その一部1900トンが東京芝浦に到着しました。この銑鉄は戦争の名残のくず鉄と一緒に溶かされ鋼鉄材になる予定で、ようやく希望が見えてきました。

日本鋼管工場ではすでに鋼鉄の生産が始まっています。しかし、現在の生産高は1か月約5000トン、戦争前のわずか3分の1です。石炭不足などのため、高炉、平炉のうちで三つしか動いていない状態で、前途はまだまだ楽観を許さないといわれています。

[3]今週の東京裁判 00:36

05月07日、証人として河辺正三元大将が出廷、「漢口には虐殺事件なし」と述べ、次いで8日には長谷川元海軍大将が事変当時の海軍の立場について証言を行ないました。13日の傍聴席には珍しくマッカーサー元帥夫人が姿を見せました。

[4]スターのたまご 東京<時の話題> 00:23

05月09日、東宝ニューフェース採用試験。審査員は監督や俳優のお歴々です。

(ニューフェース採用試験の模様)

スターになるのもなかなか骨がおれます。

[5]商震上将軍入京 東京 00:15

駐日中国代表団長に任命された商震上将は、5月10日上海から飛行機で東京羽田に到着しました。

[6]五年ぶりに鵜飼 岐阜<時の話題> 00:30

岐阜県長良川の鵜飼が5月11日、五年ぶりで復活しました。名人といわれる山下鵜匠が相変わらず鮮やかな腕前を見せています。

[7]夜の街に非常線 東京<時の話題> 00:23

05月14日の真夜中、廣岡警視総監の陣頭指揮で、警視庁は突如非常警戒を行ないました。大物は捕まりませんでしたが、肉のヤミそのほかが摘発されました。

[8]“子供たちよすこやかに!” 01:02

(福岡)

フラナガン神父は5月05日、九州博多を視察しましたが、その来朝を記念して東京では児童福祉週間の催しが続いています。その一つ児童保育班が野外保育を行なっています。

05月15日には東京荒川で赤ちゃんの審査会。丸々と太ったご自慢の赤ちゃんばかりですが、それでも戦争前と比べると一般に体格は落ちているそうです。

[9]新国会迫る どうなる四党会談? 02:59

だれが政局を引き受けるか。社会、自由、民主、国協、四党代表者会談が5月10日衆議院内で開かれました。会談が終わって西尾社会党書記長は次のように語りました。

<西尾社会党書記長>

「今度の、この四党会談において、時局の重大性にかんがみ、四党連立内閣を組織し、もって難局打開に協力することに意見の一致をみた」

12日、自由党では社会党に対する方針を協議。

<自由党代議士会>

「社会党に対する国民の感情を申しますならば、マムシとまではいかないがなんとなく気味が悪い、ヘビのごとき感じを持っておる、ということを私は感じておるものであります」

自由党では片山首班反対の声が強いようです。

<氏名不明>

「首班は、従って現在においては社会党の片山君を認めてもしかたがない」

同じ日、開かれた第1次4党幹事長会談では、社会党から政策協定の案が出されました。さらに14日、第2次会談が行なわれましたが、首班をだれにするか、そのほかの問題が未解決のまま残されています。

一方、国会では20日の招集を前に各党の議席の割り当て、今度は社会党が真ん中を占めています。

新しい主人公を待つ国会をどう考えるか。議事堂に働く交換手さんと一問一答。

<記者>

「どうです、だいぶ変わりましたか?」

<交換手>

「そうですね、昔とだいぶ変わりましたね」

<記者>

「どういうふうに変わりました?」

<交換手>

「昔の議員さんはずいぶん無理を言われましてね、私たちも困りましたけれど、今度の議員さんはそんな無理を言わなくなりまして、仕事が楽になりました」

大正2年、山本内閣のとき以来、地下のボイラー室で35年暮らしたおじいさん。

<ボイラーマン>

「山本内閣の当時のことを思いますよ」

<記者>

「今度新しく国会ができて、いろいろ変わってくると思いますが、ここはどうですか。変わりましたか」

<ボイラーマン>

「いいえ、まだなんでございますが、そう変わったという様子も見えませんけども、変わりましたと思うのは、われわれの生活程度ぐらいのものだと思います」

議事堂も戦時中のあかを洗い落とし、新しい国民の国会として出発の日を待っています。

年月日/1947/19470520/19470520-t-jpn-dea-002-日本新闻.txt · 最后更改: 2025/07/20 18:17 (外部编辑)