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日本ニュース 戦後編 第70号

1947年(昭和22年)5月13日

[1]新憲法施行-多彩な催し- 02:26

昭和22年5月3日、明治欽定憲法はついに58年間の歴史を閉じました。そして民主主義に基づく新しい憲法がその第一歩を踏み出しました。

この日を記念して宮城前広場では折からの雨の中に式典が行なわれました。国民の象徴となられた天皇が式場にお見えになりました。

記念の数々の催しのうち、東京ナイルキニック競技場では体育大会が開かれました。上野美術館では現代美術展。

(“鎌を研ぐ” 吉井忠)

(“巷” 藤沼朝保)

(“新生” 長沼孝三)

帝国劇場では祝賀会が開かれ、吉田首相の顔も見え、踊りや合唱のほか諏訪根自子さんのすぐれた演奏が行なわれました。

(パガニーニ作曲「無窮動」演奏 諏訪根自子さん)

[2]今週の東京裁判 00:57

きょうも被告を乗せたバスが焼け跡を巣鴨から市ヶ谷へ通ってゆきます。東京裁判も5月3日でちょうど1年、文明の裁判はなお峻烈に続けられてゆきます。5月1日、2日、証人石原莞爾元中将を調べるため法廷は山形県酒田に出張、商工会議所を臨時法廷として尋問を行ないました。

[3]値下げ運動ひろがる 東京·大阪<時の話題> 00:37

尼崎から始まった値下げ運動は、日本一のヤミ値に悩む大阪から東京に移り銀座でも1割から5分の値下げ。

<東京·銀座 金城商会>

「物価値下げ運動は私ども大賛成です。しかし、実際問題として私ども小売商はマル公の引き上げ運動をしなければ、とてもこれ以上やっていけない状態です」

[4]人さわがせの青酸カリ 埼玉<時の話題> 00:28

ちょっとなめてもころりと死ぬという青酸カリが、ドラム缶1本分盗まれ、関東地方は大騒ぎしましたが、5月4日、近くの麦畑で発見されました。だが犯人は不明。お巡りさんが工場で「この中に犯人がいるなら自首せよ」と勧告しています。

[5]久しぶりの大タコ 浜松<時の話題> 00:24

5月5日、静岡県浜松名物大タコ揚げ。若い衆たちが勢い込んで繰り出しています。しかし残念がら風が弱くて呼び物のタコ切りのスリルは今年は見られませんでした。

[6]-キャメラ報告-お台場の子供たち 東京 01:53

徳川幕府が黒船来襲におびえて品川沖に作ったお台場は、今、浮浪児の収容所になっています。児童福祉週間を迎えて、われわれがこの収容所を訪れると、子供たちは雨の中を飛び出してきました。外へ出られない雨の日はこのような遊びで時を過ごしています。

<記者>

「何しているの。おなかすかない?」

<少年>

「すかないです」

<記者>

「そう?今、坊やたちがいちばんほしいものはなあに?」

<少年>

「靴です」

<記者>

「こちらの坊やは?」

<少年>

「時計です」

<記者>

「時計って、どういう時計?」

<少年>

「柱時計です」

<記者>

「柱時計。柱時計は何するの?」

<少年>

「居間にいたら時間がわからないから」

人懐かしいらしく、食料を積んだ小舟がきてもみんなで駆け出してゆきます。離れ小島での教育が効を奏するかどうか、浮浪児対策の問題はなお今後にあるようです。

[7]新内閣はどうなる? 01:38

吉田内閣は5月6日、総辞職を延期しました。

<林官房長官>

「内閣の総辞職の決定をいつ出すかということについてはまだ決まりません。諸般の事情を斟酌したうえで適当なときに出す」

次期政権はどこへゆくか。この日、自由党本部は案外静かで成り行きを静観の感じです。5月5日、民主党では議員総会を開き、総裁問題をめぐって紛糾しました。社会党は5月7日、中央委員会を開催。

<氏名不明>

「具体的に言って、総辞職は延びておるということは、社会党の態度を今後どうするか。この間において骨抜きにされるようなことはないか。この間において社会党はどういう方針を持っているか」

<記者>

「今後第一党である社会党としてはですね、どういうふうに政局に対処していかれますか」

<社会党 片山委員長>

「祖国の危機を救うと、こういう意味で社会党は全精力を集中して乗り出すというわけでありまして、きょうの中央委員会でもその空気が非常に強く現れております」

翌5月8日午後、片山氏は吉田首相と会見して4党首会談を行う旨決定。新憲法のもと、いよいよ政局の動きは本格的になってきました。

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