日本ニュース 戦后編 第62号
1947年(昭和22年)3月18日
[1]いよいよ選挙前哨戦 01:15
選挙をひかえて大部分の立候補者の資格審査が3月11日締め切られました。さて落第か及第か。東京都庁締め切り時間の緊張した風景。
03月08日、国民党と協同党が合同、選挙に備えました。
<発言者氏名不明>
「憂国の至情を結集して政界の革新を図るためここに合同、新たに国民協同党を樹立することになった」
03月09日、宮城前の国際婦人デー。ここでも働く婦人として選挙にどう臨むべきかが論ぜられました。
<発言者氏名不明>
「4月に行なわれる四つの選挙に対し、現政府を構成しているような政党に絶対に入れることのないように、私たち労働者を基盤にした政党を議会に送り出したいと思うのであります」
かくて選挙を前に各方面の動きはやや活発となってきました。
[2]富士山になだれ 00:36
03月03日夜、富士山の2合目付近になだれが起こり、雷害測定所は木っ端みじんとなり、頂上への送電線が切れ、八丈島との超短波通信ができなくなりました。今、復旧作業を急いでいますが、材料はすべてかついで運び、ひっきりなしに濃霧が襲うので工事は困難をきわめています。
[3]天皇林野局へ 東京<時の話題> 00:26
03月07日、天皇皇后両陛下は帝室林野局へおいでになりました。皇室の御料林130万町歩が財産税として納められることになったので、両陛下はいろいろお名残を惜しまれました。
[4]わたしたちもラグビー! 大阪<時の話題> 00:24
私たちだってラグビーぐらいはと、最近、大阪の大手前高女にラグビーのチームができました。今に男子の一流チームも負かしてやるんだとなかなかの猛練習。
[5]西の国境 五島列島 長崎<時の話題> 00:18
今ではわが国の西の国境となった長崎県五島列島。ごらんのとおり今さかんにぶりが取れています。こんなにたくさん取れても、はたしてどれだけみなさんのお口へ入るやら。
[6]公開された世界的名画 東京<時の話題> 00:25
今まで少数の篤志家の手にあった全ヨーロッパの世界的名画200余点が、3月10日から東京上野美術館で初めて広く一般に公開されました。
[7]今週の東京裁判 00:38
弁護団側の反証に入ってすでに10日、いよいよ内外の注目を集めている東京裁判の証人台に、3月06日、外交評論家田村幸策、神道研究家井上孚麿、10日、元フィリピン大使村田省藏の諸氏が続々現れました。11日には記者席に中国記者団の顔も見え、元翼賛会副総裁安藤紀三郎が特に巣鴨から出廷、証人台に立ち、注目を集めました。
[8]逓信省もめる 02:17
03月08日、衆議院では果然、逓信省内の不正事件が取り上げられ、社会党·井上良次氏より緊急質問。
<井上議員>
「犯罪を犯したところの役人たちを処罰して、大臣としての責任が逃れると考えておるかもしれませんけれども、これで責任は逃れられません」
一松逓相が立って答弁。
<一松逓相>
「工務局の一官吏が局長の名前を使い、もしくは局長の印を使って、そうして出入りの許可を許したとかいう事実があります」
事件の内容は、新宿三福ビルをある役人が勝手にダンスホールに貸した問題。もう一つは回線統制本部の予算2100万円を従業員の乏しい徹夜手当てなどに流用した事件。逓信省の大部分の従業員は成り行きを静観していますが、事件の責任者、工務局の部課長たちは職場をそっちのけ、ドアに鍵をかけて連日協議。逓信大臣の事件に対する態度はわれわれの実情を無視したものだと逓相の辞職を要求。これに対し逓相も本社記者に強硬なところを見せました。
<記者>
「大臣はこの今のままで押し通していかれるおつもりなんですか」
<一松逓相>
「今のままではだね、これはきみ、向こうがだな、大いに自粛し自戒してくれば、いつでも僕は喜んで応じるよ」
<記者>
「そうでございますか」
<一松逓相>
「自粛自戒せずしてだ、自分らの強硬な態度をもって衆を頼んで僕を圧迫しようとすれば、絶対に応じない。この機会に徹底的につきつける」
こうして10日には2課長の休職を発令しました。
ところで、逓信省のお家騒動のとんだとばっちりをうけたのは三福のダンスホールのダンサーたちです。お役人が悪いことをしようとしまいと、もしホールが閉鎖と決まれば、これは私たちの生活権の問題だと、踊り子さんの話題もなかなか深刻です。
