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日本ニュース 戦後編 第60号

1947年(昭和22年)3月4日

[1]今週の東京裁判 01:07

2月24日再開された東京裁判は清瀬弁護人の冒頭陳述から始まりました。

<清瀬弁護人>

「われわれは今、太平洋戦争の原因自身を証明する段階に到達いたしました。われわれはこれが真に日本の生存のためにやむにやまれぬ事情のもとに自衛権を行使するに至ったことを証明するでありましょう」

清瀬弁護人のこの陳述に対し、2月26日のニューヨークタイムズは痛烈な批評を下し、このような弁論はドイツの戦犯でさえやらなかったと述べており、また広田被告など5名はこの陳述に対し不満の意をもらしています。

[2]全官公争議一応解決 00:41

全官公庁労働組合の争議は、中央労働委員会の斡旋により、2月27日両者の了解がなりました。

<発言者氏名不詳>

「労働委員会は国鉄ならびに官公労組の他の組合の今回の了解事項をもって争議が打ち切られたものと認める」

さしも難行を続けていた争議も、こうしてついに一応の解決を見るに至りました。

[3]学生大いにおどる 東京<時の話題> 00:30

2月23日、東京で行なわれた学生のダンス競技会です。学期試験そこのけの深刻な顔。一等、慶応のキタダ君。

[4]中国代表版画展観賞 東京<時の話題> 00:22

中国代表·朱世明中将は、2月25日、東京銀座に開催中の中国版画展を訪れました。これらは世界的といわれる中国の版画芸術です。

[5]熊まつり 北海道<時の話題> 00:24

アイヌの熊まつりが2月22日、北海道旭川常磐公園で行なわれました。手塩にかけた仔熊を火の神に捧げて今年の無事安泰を祈っています。

[6]孤児をいれる大本営跡 長野 00:57

本土決戦を夢見た軍閥が長野県松代に建てた大本営は、工費6000万円といわれ、土地の人たちはその作業のため実に苦しい思いをしました。これが天皇御座所で総桧ですが、今は荒れ放題。東京の戦災孤児150名を3月1日に収容することになったこの建物は皇太后、皇太子のお2方が入られるはずだったところです。予算が不十分なので園長のヤマギワ氏はどうすることもできず、しかたなしに土地の青年や子供に頼んで戦災孤児の受け入れ態勢を整えています。

[7]惨!列車てんぷく死傷約一千 埼玉 02:08

2月25日午前7時50分ごろ、八高線高麗川·東飯能間で満員列車が転覆、死傷約一千に及ぶ大惨事を引き起こしました。列車がカーブにさしかかったとき、この連結器がはずれ、これから先はこのまま進行、これからあとは無残に崖下へ転落。すべて木造車のため、ことに3輌目は跡形もないくらい木っ端みじんになりました。最近まれに見る大事故で現状は酸鼻をきわめております。

26日正午現在、死亡者190。遺族の人たちが身寄りの死体を探して歩く姿はひとしお涙をそそりました。被害者の多くは通勤者と買い出しの人たちでした。夜に入ってもなお遺族の人たちが続々集まってきました。

頻発しやすいこの種の事故を今後どう食い止めるか。現場へ急行した下山東京鉄道局長に聞いてみました。

<記者>

「今後の対策については」

<下山東京鉄道局長>

「これで徹底的に事故の原因を調べまして、再びこういうことのないようにあらゆる努力をしてやりたいと思っております」

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