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日本ニュース 戦後編 第45号

1946年(昭和21年)11月19日

[1]地方民主化へ 新公職追放令 01:27

地方選挙を前にして11月8日、政府はついに公職追放の拡大を発表しました。

<林書記官長>

「今回とりあえず地方公共団体の公職についても、いわゆる公職追放令を適用し、地方の公職より軍国主義的ないし極端な国家主義的色彩を一掃し、あわせて地方自治の民主化を促進するところがなければならない」

今度追放されるこれらの地方政界のボスたちは、戦時中どんなことをしていたでしょうか。彼らは警察と手を組んで、あらゆる国民の不満を抑えつけたばかりでなく、半ば脅かしながら家庭から引きずりだした若い女性を、十分な設備一つない作業場に送り込み、ここで体をこわすばかりの無理な労働を押しつけました。あるいはまた、義勇隊の名ですべての男子を軍閥のいけにえにしようとした在郷軍人の幹部たち、すべてこれらの追放によって、今さらに大きい民主化の道が開かれようとしています。

[2]深刻化するインフレ世相 02:46

インフレの大嵐が今、日本の隅々にまで荒れ回り、500円生活の舞台に悲劇、喜劇を描き出しています。

一人で何枚買っても差し支えなしと新しい競馬法であおられて、人間は今、馬に賭けに富くじに殺到しています。ここでは生活難などはどこ吹く風、札びらが舞うインフレ景気です。

しかし、このインフレで俺たちは食えないのだとストに突入した東芝工場では、悲壮なハンストにまでついに入りました。適切なインフレ対策がないので、労働者の生活は悪くなる一方だといわれています。

このありさまでは治る病気も治らないと、今度は東京中野療養所の患者までが生活擁護同盟を作って厚生省に詰め寄りました。

<患者代表>

「患者のほうにいくらかでも回せないというのは、これはおかしいんじゃないですか」

<厚生省>

「それは病院の…」

<患者代表>

「少なかったら少ないなりにですね、困っている人に優先に配給できるんですから。私たちがやっても」

問題の療養所ではインフレで破れ窓も直らないし、病人に必要な栄養も十分与えられないというのが患者の言い分です。

2合5勺の主食で足りるかどうか。それはともかくとして、食糧の買い出しは相変わらずやみません。政府は11月からついに強権を発動し、警官の人垣を作って各駅でヤミの大弾圧。

<警官>

「米どのくらいありますか」

<買い出し人>

「米でねえんです。コブ。コブに大豆」

<警官>

「きょうね、僕がまとまってね、調べてあげますから」

<買い出し人>

「ああ、そうですか」

しかし、大口や悪質のヤミ商人がうまく網にかかったでしょうか。

<警官>

「一升ぐらいあるよ。一升くらいあるね、きみ」

このヤミ取り締まりを尻目に、お札の発行高はついに700億円台をはるかに超え、政府の声明や経済学者の観測を裏切って、さてどこまでインフレは深刻化するのでしょうか。

[3]慶明ラグビー戦 東京<時の話題> 00:32

明治対慶応のラグビー戦。慶応トライしました。前半3対0で慶応リード。11月11日の後楽園スタジアム。後半27分、明大続けて3トライ1ゴールをあげ、形勢逆転、14対6で明大に凱歌があがりました。

[4]わが青春に悔いなし 京都<時の話題> 00:15

裸でカッパ踊りの三高記念祭、11月10日、わが青春に悔いなからしめようと久しぶりに暴れ回りました。

[5]海抜千二百米の鉱山 北海道<時の話題> 00:23

水銀で世界的に知られた北海道イトカム(イトムカ)鉱山は海抜実に1200メートル、わが国最高の鉱山です。戦後一時さびれましたが、見返り物資をめざして再び活況を呈しています。

[6]指と機械の一騎討ち 東京<時の話題> 00:38

古いそろばんが早いか。新しい電気計算機が勝つか。11日、超満員のアーニー·パイル劇場での一騎討ち。計算機選手トーマス·ウッド二等兵、そろばんの選手松崎君。五つの種目に火花を散らした結果、4対1でそろばんが優勝。それに賭けをして勝ったピーター君は、バートハート君の引く人力車におさまって大喜び。

[7]机上プランの悲劇 開拓地の現実 01:59

戦争中、陸軍最大の航空基地であった静岡県三方ヶ原、1200町歩の上に今、悲劇が繰り広げられつつあります。食糧増産、失業救済の名のもとに行なわれた政府の緊急開拓事業は、机の上の計画と実際とがまったく食い違い、現地の人々を悲しませています。この土地に送り込まれた戦災者、失業者3000名が、この冬を越すために作った作物は土地に養分がないため実に惨憺たる出来ばえでした。住む家は開拓営団の建てたわずか30戸、そのほかは昔のままの兵舎や掘っ建て小屋で、この惨めな生活のうえに今飢えと寒さが迫っています。

しかし一部の人たちは敢然と立ち上がりました。今や政府にばかり頼っていては餓死すると、自らの力で全土を開拓し始めました。キリスト教徒の愛隣村、共産党員の共栄村では、すべての農具、すべての土地をみんな一緒にして、共同農場の建設を進めています。こうして悲劇の中から民主的なたくましい開拓が前途に希望を見いだしかけています。

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