叶盛吉日记>19461013
10月13日(日)
下宿的老婆迎神
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110
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[残]1417+1500(12/Ⅹ)
(13/Ⅹ)
22【生活笔记】
13/X1946.AtTaipei
せかれて时もあらうに、再び此のノートにペンとる运命を奇しく思ふ。
美しいベールをかけて物を见:人々もそれに惯れて、何时しか虚伪たるに气付かぬ程に麻痹されて行く。
あの美化されたベールをはぎとって见よう。
それが现实的だとか、唯物的だとか、はたまた科学的だとか云はれようと、それはかまはない。
ただもう少し率直と正直とで物を直视したいから。
それにはやはり科学的でなくてはならないかも知れない。
この世の全てがorganicrelationにあることは个々の些少なものに至るまで适用し得、真理であるから、何时の场合にも我々は常にその环境を考虑してやらねばならぬ。
それがやはり或る时、或る所に于ける物の相对的关系をはっきり把握し得るのである。
绝对的关系だといったやうなことは所诠わかることではないし、时间を考虑したこの三次间の世界では、相互间の关系さへはっきりし得るならば、その现象を支配し得るからである。
并し、考へれば考へる程、问题は山积みして少しも解けない。
我々は长く长く恼みつづけ、恐らく未来もまた恼みつづけなければならないであらう。
此の{此の}形而上と形而下のかつ葛、并しアメリカ人はさもその恼みなく、ーいや恐らくないのであらう。
现在、恐らくこれからしばらく未来も、ある一つの状态に满足してゐる。
所谓此の近代アメリカの、就中1920年代以后のアメリカの生活态度は人类にとって一つの全く新たなものだ。
それはヨーロッパの旧大陆ではもはや求められず、ましてや我が东洋に于てはなほさらの事、缘远いものである。
几多の困难を藏しつつ(时には绝望的にまで见えるが)、东洋は极めて除[徐]々に动きつつある。
それが若し彼のRenaissans[Renaissance]に比すべきものであれは、此处からも极めて悠长な话だが、一つの新しい人类の途が开けるかも知れない。
环境と人间の持つ、极めて深い多くの相互关系が此兹[处]でも适用し得る筈である。
10月13日(日)
宿舍的阿婆迎神
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220
40
15
18
5
15
12
110
480
[于]1417+1500(12/Ⅹ)
(13/Ⅹ)
22【生活笔记】
1946年10月13日于台北
尽管有时觉得受到阻碍,我能再重新提笔写下这篇笔记,令我感到命运竟如此神奇。
戴着美丽的面纱看事物,人们都已习以为常,并对这样的虚伪司空见惯而逐渐麻木。
拿下那美化的面纱来看个清楚吧!
如果你觉得那很现实,很唯物,或者很科学,那也无所谓。
我只是想要更坦率且诚实地直视事物而已,或许就必须要很科学。
这世界上充满了有机关系,也就是对每一个再小的东西都可以适用的真理,所以无论何时何地,我们都要考虑环境因素,在某些时刻、某些地点,才能够清楚掌握事物的相对关系,绝对关系就不是常人能够理解的。
因为在这考量时间的三次元世界,如果能够清楚理解其相互关系,就能够控制现象。
但想得愈多,问题就更堆积如山而难以解决。
我为此苦思许久,恐怕未来仍必须继续苦思吧。
这个形而上与形而下的错综复杂脉络,美国人却不那么烦恼——可能根本不曾烦恼过。
现在,或是不久的将来,或许他们都将满足于某个状态。
所谓近代美国,尤其是1920年代以后,美国的生活态度对世界人类而言是全新的,这是欧洲旧大陆所没有的,与我们东方社会更是无缘。
虽然潜藏着诸多困难(甚至有时看似绝望),但东亚却已开始甚为缓慢地动了起来。
如果这对年轻的他们而言有如文艺复兴,虽然接下来将是漫漫长路,但或许将为人类开辟一条新的道路。
环境与人类之间,许多地方极为深刻的相互关联在此应同样适用。
