叶盛吉日记>19460123
01月23日(水)
晴
我今天想要尾行プロレタリヤ、【1】特に服装の恶い者、车中在我的邻坐[座]的一个人、次、神田驿附近我看见一个みそ[す]ぼらしい三十岁的女人、我终了我的事情、以后我去三越、splendidDepart
店内的装饰是真美丽了、我想我们台湾是一个乡下的地、所以非常感寂寞了、我们的将来一定一面研究、一面建设的、我听现在在台湾有四拾余个的政党、是不态[太]统一的状态。
①下午去文部省交涉留学生卒业期的问题、文部省的官吏都是没有诚意了、
我走自虎门至新桥的道路的半道儿上、我看见三个不好看的浮浪人、一个是大概十数岁的少年、一个是二十岁的青年、一个是四、五十岁的女人、三个人都是穿很不好的衣裳、因为甚么我看见这样的事呢?
日本昨天[年]吃大惨败、日本人直面食粮的欠乏、以外各样的悲惨事、所以日々的报、人々的舆论也是很丰盛报告这样悲惨的现状、可是这是都不正信的事、都是虚言了、饿死的人也、精神病以外、我们不能看了、街头上的人们、电车内的人们都是很好的颜色(睑[脸]色)穿很好的衣裳。
我想悲惨的人们在何处呢?
我爱看见他们!
我爱会他们!
私は尾行した。
人通りの多い道をさけてみすぼらしい三人连は元气のない足取りで步いて行く、一时间位したらうか、电车通りに邻合ったやけのこりのビルのかげに三人はは入って行った。
“三和组”の标札が目についた。
私は近くの石に腰を下して、“アカハタ”【2】をよみながら、见るとはなしに彼等の举动に注意した。
我の尾行を大してあやしむ样子もなかった。
少年は大丈夫だとさゝやいた、快活な美しい少年だった。
彼等はわらなはを探し、やけ残りの板きりを盛んにあつめて、それをくゝりつけて、またとぼとぼ步き出した。
大通りをさける彼等の道のりは相当に大まはりであった。
でも彼等の样子は电车にのりさうもなく、また薪を背负って居るところからさぼど远方ではないといふ推论、余は尾行を决心す、一时间、あるやけ烧の小屋へ、余はみかんを十圆かってオーバのポケットへ、“今日は、罹灾なさったのですか”私はきいた、彼等は精神的には健康だった、何れも05月顷の罹灾者で家のない点[转]々たる浮浪人だった。
就中件の少年は一番立派で善良で心が美しかった、青年は少し拔けてゐるやうであり、女は少しこうかつさうであった。
きたないたゝみが二枚、きたきりすゞめのごろね。
シラミのさうくつ。
1.
少年2人屋たい店の水くみ、手伝ひして01日に三十圆(一人に)位收入がは入る、外食券1枚¥2.50、しかしその三十圆はその日の中にくってしまって残らない。
三十圆が彼等01日の生活费としては决して多くはない、彼等はうゑてゐる。
くはない日がある。
それで金のある日は芋をかったり、その他のものをくったりして、つかってしまふのだ。
三度三度のおまんまは彼等にはない。
不规则な、うゑと满腹の交互が彼等を胃扩张にする
彼等には配给の籍がない、浮浪者は町会でも手续きを厄介がって入れないらしい。
彼等はもう宿命的に浮ばれない阶级たることを感じ、あきらめて、官吏、町会に赖むやうな气力もなささうだ。
污ない恰好で敬远されることを彼等は身にしみて感じて居る。
彼等は世の华やかな人々とは别人だと思って居る。
2.
彼等と同じ阶级の浮浪者、进驻军の残食物をもらふ。
弱肉强食、亲分にがめられる、巡查も。
巡查と亲分の山分け、かっぱらひ、
01日に三回衣裳の变更、しらみが多くなるまできて、それを卖り、新たにかっぱらふ。
3. 少年の名は“三岛守人”余は保ごされんことを祈り、名刺をやった。
父に早く死なれ、みすぼらしい家计の为にはた(ら)いて母は病死し、兄また肺病で、それを看护した妹も病で死に、伴の少年は生き残りだ。
彼は少[小]学をあと二ヶ月ですむといふときに、务めに出た、その顷は每日每日学校へ行き度くて仕样がなかったさうだ。
でも卒业证书はもらった。
中位の成绩で、我々は今日の日本の教育はは撰[选]ばれた阶级,ブルの子弟の教育であることを知ってゐる。
我々は几多の英才のうづもれてゐることを知ってゐる。
それは单に小学卒业のとき,成绩のよくて上级学校に行かなかったもののみをさすのではない。
私は今でもありありと同窗の何代林君を思ひ出す。
所谓受验准备のときに、上级学校に行けぬ子のなげやりな,自暴自弃,单に卒业时良成绩の者のみではない。
卒业后の彼等の生活苦,中学讲义录。
……教育の自由平等を!
彼は会社に住み迂みで务めて,去年の05月罹灾し,退职金で南京豆うりをやったが或る疲れた夜。
新桥地下铁でねてしまった日に,六百余圆と南京豆1斗とを全财产をガメラレタ。
それ以来すむに家なく浪々の旅。
上野はお巡りさんがうるさいが新桥はよいところだ。
巡查があまりうるさくない。
でも彼がきたない恰好をして,何か露店にうるものをもってゐるとお巡りさんは,それはがメツたのだろうといってはとり上げてしまふ。
きけばお巡りさんも气の毒な阶级だ。
4.
かつばらひはおつかなくて出来ない。
毛布を干してあるのをかっぱらってうりとばしその金でくふ。
すると味を占めてまたカッパラふ人々。
5.
シラミの多いこと,家のないものは皆シラミをもってゐる。
余は少年に政治をといた。
これからの日本の政治は限りられた民众から游リした人々によってなされるのではない。
实にこの苦しみの中から,君达がよりするどく现实をみつめやがて君等の手によって政治を行ふのである。
撰[选]ばれた阶级をおそれるな!
今次大战中は民族战线をつくった。
しかしフアッシヨ,军国主义は既に打倒された。
我等は民主战线をつくるべきの时なり。
余は共产主义者ではない。
だが现实の问题を学问的,科学的に解决する道を进まねばならぬ。
我々は常に困って居る大众の味方になり,彼等と共に恼まねばならぬ。
大众が何を考へ,何を思ひ,何を欲し,何处に向はんとするかを我々はつかまねばならぬ。
单なる理论から,或は学徒の洁ぺき性から我々は,大众の动きまつ向から反对することがある。
并しそれは大众のうらみと反感をかひ,かつってその反动を大にこそすれ,决して大众をより方向に指导し行くものではない。
品川まで共に,米5升やる,ノートと铅笔を,反省と记录は斗争のきそだ。
夜老陈とおそくまでだべる。
朝
昼
夜
品2
本2
大豆
タラ
ハンペン
ミカン
イワシ、大根
大根
品2
汤
汤
肉ヤサイ
イワシ
汤
ケーキ
コーヒー一杯
ミルク二杯
12.00
4.00
3.70
12.00
5.00
10.00
46.70
730.00
776.70
38.32
815.02
2037.66
01月23日(三)
晴
我今天想要跟踪无产阶级者,尤其是衣衫褴褛者,车内坐在我的邻坐[座]的人,下一站,在神田站附近,我看见一个看来穷困潦倒、约三十岁的女人。
我办完事情,之后去三越,光鲜亮丽的百货公司,店内的装饰真美丽!
我想我们台湾是一个乡下地方,因此感到非常寂寞,我们将来一定要一面研究,一面建设,我听说现在台湾有四十余个政党,是不太统一的状态。
①下午去文部省交涉留学生毕业期的问题,文部省的官吏都没有诚意。
我从虎门走到新桥的半路上,看见三个不体面的流浪汉,一个是大概十几岁的少年,一个是约二十岁的青年,一个是四、五十岁的女人,三个人都穿着不好的衣裳,为何我看见这样的事呢?
日本去年吃大败仗,日本人正面临食粮的短缺,还有其他各样的悲惨事,所以每天的报纸、人们的舆论有很多报导这样悲惨的现状,可是这都不是正确可信的事,都是虚言。
有饿死的人,也有精神病,我们都没有看到。
街头上的人们、电车内的人们都容光焕发,穿很好的衣裳。
我想悲惨的人们在何处呢?
我爱看见他们!
我想见他们!
我开始跟踪他们。
避开人潮较多的道路,看见三个看来穷困潦倒的人无精打采地走着,大概跟了一个小时,三人进入邻近的电车路,被焚烧过的大楼背后。
看到“三和组”的牌子。
我弯腰躲在附近的石头旁读著《赤旗》,一边注意着他们的举动。
他们好像也不大在意我的跟踪。
少年小声说著「没事了”,看来是个爽朗的美少年。
他们找来草绳,收集了很多烧剩的木板,用草绳捆好之后,又有气无力地走起路来。
为了避开大马路,他们要绕很大的圈子。
但他们看来不像要搭电车,又背着木柴,故推论他们应该不会到远方去,我决定继续跟踪他们,一小时后,在一幢焚烧过的小屋。
我买了十圆的橘子放在口袋外套,问他们“你们好,请问是受灾户吗?”他们在精神上是健康的,应该是05月左右的受灾户,现在是无家可归的游民。
其中这位少年长得最帅,心地又最善良美好,其他青年似乎有些呆滞,女子看来有些狡猾。
两块肮脏的榻榻米,勉强可躺的小小空间。
有虱子的草鞋。
1. 二位少年帮路边摊取水,每人有一天三十圆的收入,外食券一张二圆五十钱,但这三十圆一天就吃完了,存不到钱。
三十圆作为一天的生活费并不多,他们陷入饥饿,有时没饭吃。
如果有钱就买芋头,或者吃其他东西,钱就花完了。
他们没有一天三餐,而是不规则,饥饿与过饱交替扩张了他们的胃。
他们没有户籍可以接受配给,町会好像嫌手续麻烦,所以不大愿意让无家可归的游民进来。
感觉他们是注定无法翻身的阶级,因此已经放弃,已经没有向官吏、町会求助的气力。
他们刻骨铭心体会到,别人只要看到他们衣衫褴褛即避之唯恐不及。
他们也觉得自己和社会上那些光鲜亮丽的人是不同世界的人。
2. 与他们同阶级的游民,可以吃到进驻军的剩饭。
弱肉强食,受到黑道老大欺凌,还有警察。
警察和老大分赃,抢夺,
一天换三次衣服,穿到很多虱子为止,然后卖掉,去偷新的。
3. 少年名叫“三岛守人”,我为了能让他受到保护,而给了他名片。
父亲早死,家境贫穷,为了生计外出工作的母亲也病死,哥哥罹患肺病,看护的妹妹也都病故,只剩他一个人活下来。
他读小学只剩两个月就要毕业,却只好出来工作、听说那时候他每天都好想去学校。
但他终于拿到毕业证书。
成绩中等,我们知道今日日本的教育是为被选中的阶级、资产阶级的子弟所办的教育。
也知道有许多英才被埋没。
这不只是指小学毕业时,成绩虽好但无法升学的子弟。
至今我仍时常想起同学何代林君。
所谓准备考试时,不升学的孩子们的落寞、自暴自弃,并不只出现在毕业成绩好的孩子身上。
他们毕业后生活之苦,中学函授课程讲义。
……应该让教育自由平等!
他住在公司里,去年05月遭轰炸,拿资遣费出来卖花生,某个疲累的夜晚,在新桥地铁站睡着时,六百多圆与花生一斗,所有财产被洗劫一空。
此后便过着无家可归四处流浪的日子。
上野的警察比较严格,新桥比较好,警察比较不会来赶。
然而当他衣衫褴褛,却持有一些要摆地摊卖的东西时,警察却认为那是偷来的,就把它没收。
说起来警察也是个可怜的阶级。
4. 偷东西必须有技巧。
偷别人正在晾的毛毯卖钱过活。
然后食髓知味继续偷的一群人。
5. 虱子很多,无家可归者都如此。
我告诉那个少年关于政治的事。
未来日本的政治不该只让那一小撮与民众疏离的人们来掌管。
其实在穷苦之中,你们才能更敏锐地观察到现实,政治应该由你们来做。
别怕那获选出来的阶级!
这次大战中产生了民族战线。
但法西斯、军国主义已被打倒。
正是我们建立民主战线的时候。
我不是共产主义者。
但现实问题必须以学问、科学方法解决。
我们必须与痛苦的大众站在一起,与他们一同烦恼。
我们必须掌握大众在思考什么、想什么、需要什么、要往何处去。
我们往往单从理论,或从研究者的洁癖性劈头反对大众的动向。
这反而会导致大众的反感与怨怼,只会增大其反弹,绝对无法领导大众前往更好的方向。
一起到品川,给他五升的米、笔记本与铅笔,反省与记录也是斗争的基础。
晚上与老陈聊到很晚。
早
午
晚
品2
本2
大豆
鳕鱼
鱼板
橘子
沙丁鱼、萝卜
萝卜
品2
汤
汤
青菜炒肉
沙丁鱼
汤
蛋糕
咖啡一杯
牛奶二杯
12.00
4.00
3.70
12.00
5.00
10.00
46.70
730.00
776.70
38.32
815.02
2037.66
【注】
【1】プロレタリヤ:应为プロレタリア,源自德文的proletarier,指资本主义社会的工人、无产者。
【2】アカハタ:指日本共产党的中央机关报《赤旗》,1928年02月01日创刊。
在日本政府严禁及迫害下仍在地下非法发行,二次大战结束后才以《アカハタ》之名公开发行,虽在韩战期间一度被禁,1952年05月占领结束后日本回复合法化,且于1966年改以汉字《赤旗》名称发行。
(JapanKnowledge,《日本大百科全书(ニッポニカ)》,赤旗,2019.8.1阅览,http://japanknowledge.com)
