年月日:1945:19451216:19451216-h-roc-s27-003-叶盛吉日记



叶盛吉日记>19451216

12月16日(日)

オーバーを志波姫に置いて来てノーオーバのこの顷は殊更に寒さの身に沁みるを感ずる。
电车の中で十一位と七つ位の女の子が居た。
大势乘り迂んで押されて倒れさうになったとき、姊の方が私と手をつないでやっともちこたへた。
その中やっと席がすいて二人の可爱いい姊妹はちこんと坐りこんだ。
すると姊の方が私のボタンを见て“蜂、蜂.はち”と妹と颜を合はせてにこにこしてゐた。
私は何だか可爱ゆくてとっさに帽子につけて居た小さな蜂章【1】をとりはづして“ほら、はちだ”といって渡すと、姊妹はかはるがいる嬉しさうに见て居た。
返さうとしたときに“あげるよ”といふと姊妹は人なつこい微笑をうかべて、丁度电车が品川についたので“さよなら”といってにっこりした。
私はホームから出るときしばらくふりかへって见ると、姊妹は寒さうにホームをかけて行った。
师走の朝风は冷い。
食粮の切迫した生活苦にあへぐこの日顷、何と可爱いい子供たちだらう。
こんなに单纯なそして人のよい日本人を谁が一体こんなにみじめな状态に陷し入れたのだらう。
日に日に奈落に沈み行く人々、かつての美しき大和岛根とうたはれたこの日本がこんな惨状に陷ったことに一掬の泪をそぐは单なるセンチメンタリズムではあるまい。
七千万の大和民族のだらくは决して大东亚の建设にとって幸(福)ではあるまい。
我等は日本人をして反省すべき点は反省せしめ、正すべき点は正し、中日关系の祸こんをのぞくはもちろん、日本をそのだらくより救はねばならぬ。
我等は日本の帝国主义を打倒した、しかし我等は日本の灭亡を断じて望まない。
トルストイは“战争と平和”で人々が互に杀しあったり烧き合ったり……战争を何と儿戏に类することよとちょう笑してゐる。
午后阿佐ヶ谷に行く、午前中の青山学院の讲习にあまりにも寒かった。
夕方中野の林さんのところへ行く、不在。
栗坊の弟、それから最初近まで入院して居た陈さんが居た。



品2
青2
品2
イカ、ヤサイ
タオ
イカ

ハンペン
ヤサイ
カブ
中1

クヂラ
タラ
ニンニク
大豆
9.60
30
10.00
19.90
230.00
残418.77
(298.77)
12月16日(日)

大外套都放在志波姬,这时候没穿大外套,更感寒风刺骨。
电车上遇到一对约十一岁、七岁的姊妹花。
因人多拥挤几乎被挤倒时,姊姊抓住我的手才不致跌倒。
然后终于有了空位,这对可爱的小姐妹花终于有位子坐了。
然后姊姊看到我的扣子,就一直说著「蜂、蜂.蜜蜂”,与妹妹相视而笑。
我觉得她们实在好可爱,就把帽子上小小的蜂章拿下来给她们玩“你们看,是蜜蜂喔”,小姊妹都很高兴。
正想要还我时,我说:“送你们吧”小姊妹花露出了可爱的笑容,刚好电车到了品川,我笑着说了“再见”。
我走出月台时回头看了一下,小姊妹在月台奔跑的身影看来很冷的模样。
12月早晨的风非常寒冷。
在这粮食不足,生活困顿的时节,竟然有这么可爱的孩子们。
究竟是谁让如此单纯而良善的日本人陷入如此悲惨的状态?
一天天陷入地狱的人们,曾被歌颂为美丽的大和岛根之国的日本陷入此等惨状,仅是一掬同情之泪的感伤情绪没有什么意义。
七千万大和民族的堕落绝无法使大东亚的建设迈向幸福。
我们应使日本人反省该反省的地方,改正应改正之处,除了务须根除中日关系之祸根外,更应让日本摆脱萎靡堕落。
我们打倒了日本的帝国主义,但绝不希望日本灭亡。
托尔斯泰在《战争与和平》描写人与人之间的烧杀掳掠……嘲笑这样的战争有如儿戏。
下午前往阿佐谷,上午在青山学院听讲习时觉得实在好冷。
傍晚到中野林兄住处,不在。
栗坊之弟,还有最近才刚出院的陈兄在。



品2
青2
品2
花枝、蔬菜
タオ(?

花枝

鱼板
蔬菜
芜菁
中1

鲸鱼肉
鳕鱼
大蒜
大豆
9.60
30
10.00
19.90
230.00
余418.77
(298.77)

【注】
【1】蜂章:仙台第二高等学校的徽章,以蜜蜂为象征,制成帽章、侧章、住宿生徽章、制服上衣钮扣等。
(参见《叶盛吉日记(四)》,页10)

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