杨基振日记>19450815
朝8时52分の急行で北京向发ったが合礼行株主总会に出席する为天津にて下车し合礼行に入ったら丁度日本が无条件降伏を发表し天皇が诏敕を发表、续いて铃木内阁总理大臣が谈话を发表してゐた。
忆へば芦沟桥に一发の铳声が发展して支那事变となり尔来9ヶ年、更に昭和16年12月8日日本が对美英に宣战布告をしてより足挂4年世界人类は悲しい年月を阅して来た。
得に故乡は50有余年の压迫に呻吟して来た。
日本に对する少时よりの敌忾心は自分を驱って大陆に心をはせしめそして自分の目で日本の降伏を见たのである。
斯くして故乡台湾は50数年振りに中国に归り今后祖国の抱拥に永かりし辛き运命が解放された。
梦かと嬉し泪にくれた。
日本の降伏は8月6日の原子爆弹と8月9日の苏连の对日战线によって决定的となり8月9日美、英、苏に对し和を乞ふたのである。
日本が明治维新に勃兴发展してより仅々50年、朝鲜、台湾、满洲、桦太等はもぎとられて昔に归った。
罪は勿论全部日本军阀に归すべきである。
夜滨田队长が来たが色々慰めてやった。
淑英と平和を喜びそして出来れば年末に归乡したい。
08月15日
星期三
早上八点五十二分的快车出发到北京,但为了出席合丰行股东大会在天津中途下车,走进合丰行,刚好日本正发表无条件投降的消息,天皇发表诏敕,接着铃木内阁总理大臣发表演讲。
回想卢沟桥那一声枪响引爆的七七事变以来的九年,以及昭和16年12月8日日本对英、美宣战以来的四年,真是全世界人类最悲惨的时期。
特别是故乡遭受五十年来的压迫。
年少以来对日本的仇恨心让我宁愿前往中国,今天还得以亲眼见到日本投降的一天。
如此一来,故乡台湾事隔五十余年后回归中国,从悲惨的命运中解放,从此永远接受祖国的拥抱。
如作梦般,我流下欣喜的泪水。
日本之所以投降,8月6日投下的原子弹与8月9日的苏联对日宣战具有决定性的影响,8月9日对美、英、苏求和。
日本自明治维新蓬勃发展以来,短短五十年陆续夺取朝鲜、台湾、满洲、桦太等地,如今一切回归原状。
这全是日本军阀的错。
晚上滨田队长来访,我不停安慰他。
与淑英开心和平的到来,可以的话,希望年末可以归乡。
