叶盛吉日记>19450730
07月30日(月)
快晴
up.6.30
栗坊步けず、今日发たんと思ふに。
余の心に尚封建的尚武の心忘れず。
新时代の生活とは?
余の心果して之に合ふか?
男性的尚武の心、あの明善寮生活が余からはなれない。
小川教授を慕ふ。
地味な忍苦と努力の连续。
之なくして何の研究ありや?
科学はかゝる地味にして、努力の生活より生れるのではなからうか?
医学にはどんなことがあっても、迈进せん。
番头曰く、一昨夜の爆音は青森の空爆だと、すっかり烧けて居るから青森行きはとてもといふ。
①九时顷、旅馆を辞して烧山【1】に向かってデツパツ。
道中の景色は极めて平凡なれど全山ニく绿に掩はれ、その上、风が非常に凉しいのが此の上なくよかった。
途中で木桑の实を腹一杯くふ。
小さい实なれど、真黑になって居て甘かった。
また黄色の野いちごなどもとった。
栗坊【は】余の发をへんに刈って、其の上“どんぐり坊や”【2】といふ小名をつけた。
けしからん。
烧山についたのは正午すぎ。
バスもトラックも来ない。
其の上昼【食】拔きで、あまり退屈なので、近くの农家らしき家に入り、めしの交涉をして见る。
一轩はあっさりふられ、次のはおやぢが侠客はだで、おばんちゃんもよい人。
早速芋だのもやしだ……り、白米をたいてくれた。
我々は凉しい木の下で腹一杯食ひ、大いに感激し、志として十圆置いて来た。
もう午后四时顷だった。
空はだんだん昙り、栗坊は身体の工合恶く、若しもバスに乘れなかったらといふのが唯一の心配だった。
此处から三本木までは六里もあるのだから。
それでも五时顷やっとバスが来てそれに乘るを得た。
四ケ月も动员に来て炭やきをして居た中学生が配置换へで归るのと一しょだ。
长い长いバスの道だった。
富士山◆【麓】とちがひ、云仙とちがひ景色は极めて平凡、相かはらず稻の不生成が目につく。
雨后の路のデコボコでバスはすごく跃る。
途中30分位故障して阳暮れて七时半顷三本木につく。
此の度の旅行で余の最も遗憾とするところは、お互に语り会ひ、もっとお互ひを知るべき旅でもあったのに、林氏の极度な女房孝行と、单なる游山旅行に终へらしめた点である。
余が世界观的な问题を质问に提出するも何等の积极的な返答をあたへてくれず、むしろけむたがる样子であった。
余は高校生活を思ひ、中目兄を思ひ、我々のすべての生活が世界观的なものに终始して居た顷がなつかしい。
残念だ。
女房の机嫌をとる为に、我々の青年の本来あるべき生活を忘れ、离れて行くとは!
若しそれ、ゆとりをもてとか、のんびりすると……ひ……といふものあらばそれはあきらかに自己の怠惰の辩解にすぎない。
大体のんびりするとは炽烈なる努力のあとに必然的に生ずるものにして、我々は之をこばむにあらず、否定にするにあらず。
而も我々の现在の气持が世界观的な问题を求め内容、实力を备へずんばやまざるの意欲极めて急なるに际して、我々が青年として生きるべきにもかゝはらず、女房孝行の生活を强ひてべんかいして、のんびりすべきときにのんびりせよとは甚だ残念だ。
ゆがめられず、祸されず、邪魔されざる青年の意欲の放出とは何ぞ、唯一つ、世界观につながる生活しかないではないか。
其の上我々のすべての计画が女房本位に组立られて行くことは心外の至り、人の家に若し余が勉强と田圃の手佛(伝)の意味と东京へ归らずに日をのばす为、即ち余が世界观的なせ生活をせんため、人の家に数日とどまり度きとき、林氏は米のことで迷惑するから止めよといふ。
もっともだ。
ぢやしからば余は问ふ。
何故女房のみやげをほん走する为には人の家に泊まるを辞しないのか?
また伊藤さんにお愿ひしてもちをついてもらふなんて考へるのか?
余は信んずる。
かゝる状态は青年本来の生活よりはなれて居る。
余は性格の问题で文句を云って居るのではなく、生活态度そのものに大いなる不满を感じて仕样がない。
かし一夜性格……ど六……界观のみの生活に终始し、それにむれて居た顷の中目兄を思ふこと切なるものあり、梦にまで见て。
梦に中目兄を见たるは余の心に反省あり、また健全なるを思ふて嬉し。
女性就中气の毒な境迈[遇]にある人には同情し、亲切にすべきなり、然し、饱くまで我々の本领、本来第一义の生活を忘れてはならない。
あへて苦言を呈す、
朝
ニンニク、オシタシ、シル、白米七勺
昼
白米三合、ジャガイモ、モヤシ
夜
シル(エンドウ)、大根オロシ、白米一・五合
【栏外】!!
喝!!
喝!!
喝!!
07月30日(一)
晴朗
6:30起床
栗坊走不动了,本来想今天出发的。
我的心中仍未忘怀封建的尚武之心。
何谓新时代的生活?
我的心能合乎那种生活吗?
要说充满男子气概的尚武之心,我无法忘怀那明善舍的生活。
我敬佩小川教授。
那是实实在在持续地刻苦耐劳。
若不如此,如何研究?
科学岂非要在如此朴实,努力的生活之中才能产生出来的吗?
无论发生什么事,我都要在医学的路上勇往直前。
旅馆老板说,前天晚上的爆炸声是青森的空中爆炸,引发严重大火,所以去青森很危险。
①九时左右,告别旅馆往烧山出发。
路上的景色极为平凡,但整座山都是一片浓绿,而且风非常凉爽,觉得没有什么比这个更好。
途中吃了许多桑椹。
桑椹虽然小小的,但颜色很黑又很甜。
还采了一些黄色的野莓。
栗坊把我的头发剪得很奇怪,还给我取了“橡果小童”的绰号。
太夸张了。
抵达烧山已过了中午。
公车或卡车都不来。
又没吃午餐,实在太无聊,于是就进入附近一些像是农家的人家试着讨点饭吃。
一家狠狠拒绝,下一家的叔叔侠骨柔肠,阿姨也是个好人。
很快就为我们蒸芋头、蒸白米。
我们在沁凉的树荫下吃了一顿饱,不胜感激,给了他们十圆作为谢礼。
已经是下午四时左右。
天空渐渐转阴,栗坊身体不舒服,唯一担心的是搭不到巴士。
这里到三本木还有六里路。
到了五时多,公车终于来了,就搭上车。
被动员来从事烧木炭工作达四个月的中学生,如今要换班回家的也跟我们在同一部车上。
真是漫长的车程。
不同于富士山麓,也不同于云仙,景色极为平凡,举目所见也是稻子生长的迟缓。
雨后道路颠簸,公车也跳动得厉害。
途中公车故障停了三十分钟左右,太阳下山的七时半左右才抵达三本木。
这趟旅行我觉得最遗憾的是,本来应该要让大家互诉衷肠,让彼此之间了解更深才是,但因为林氏太过“疼某”,使得这趟旅行沦为单纯的游山玩水。
对于我所提出关于世界观的问题没有积极的回答,甚至有些敷衍了事。
我想起高校生活以及中目兄,很怀念那段我们的生活都围绕在谈论彼此世界观的日子。
真遗憾。
只为了讨好老婆,而忘了我们青年本应有的生活形态,甚至渐行渐远!
如果说你是要劝人气度要宽宏,或是生活要放轻松……那只是自我怠惰的辩解。
大致而言,想要放轻松是在拼命的努力后所必然产生,我们并不是要拒绝或是否定。
且我们现在的心理状态,在急于非追求讨论世界观问题所需具备的内容与实力不可之时,本来应该要活得像个青年,却为自己过度疼老婆的生活辩解,以该放松时就好好放松的观点来看是很遗憾的。
如何诱发出青年的干劲而不被歪曲、不被损害、不被阻碍,或许唯一的方法,在于与世界观结合的生活。
而且我们所有的计画若是都以老婆为主,那就太本末倒置,如果到别人家只是为了读书和帮忙农事,以及拖延回东京的时间,那就是我们为了连结世界观的生活,而想待在别人家几天、林氏却说为了不要浪费他们的米而不要久留。
说的很有道理。
那我要问你,为何为了去买要带回去给老婆的礼物,而不婉拒住别人家?
还请伊藤为我们捣麻糬,那为的是什么?
我认为这种状态已远离了青年应有的生活。
我不是在抱怨你的性格问题,而是对你的生活态度有很大不满。
但一整夜都在谈性格……我深切想到始终过着充满世界观的生活那时候的中目兄,甚至于还梦到他。
梦到中目兄时我也反省我的内心,很高兴我的内心仍然健全。
对女性,尤其对那些身世坎坷的人,应该予以同情,且亲切待她们。
但还是不能忘却我们的根本,本来最应该过的生活。
胆敢忠告如上。
早
大蒜、煮青菜、牛奶、白米七勺
午
白米三合、马铃薯、豆芽菜
晚
汤(豌豆)、萝卜泥、白米一・五合
【栏外】!!
喝!!
喝!!
喝!!
【注】
【1】烧山:位于秋田县北东部,鹿角市与仙北市田泽湖地区境内的活火山。
(ジャパンナレッジ(JapanKnowledge),《日本大百科全书(ニッポニカ)》,烧山,2019.4.30阅览,http://japanknowledge.com)
【2】どんぐり坊や:どんぐり指橡树果实,坊や(ぼうや)指小男孩、毛头小子,合而为“橡果小童”之意。
