年月日:1945:19450712:19450712-h-roc-s27-005-杨基振日记



杨基振日记>19450712

7月12日朝8时52分の急行で袁总理の要望に从ひ北京に出张した。
目的は主として潮顾问の撤回方を川上商工课长に要求する为である。
先づ12日到着早々袁总理を北京弁公处に访れ以下诸
1、7月7日厂务会议に于て决定せる7月1日より工赁倍额增加案承认に关する件
2、食粮状况、特に最近满洲より约800瓲到着し同时に宗课长に对する二瓲麦粉供出に关する件
3、唐山に于ける配给所设置に关する件
4、包工制度の弊害に鉴み、工头职员化に依り劳工の工厂直接管理に关する件
5、迎宾馆设立(约1千万圆の予算)に关する件
6、资材疏散に对する洞窟采掘、防空壕の强化整备等に关する件
7、华北警备员の再改组に关する件
8、老者、病者人员の整理に关する件
等を报告旁々相谈をし大体全面的に自分の提议を容认してくれた。
特に夜半迄启新の今度の改组の经纬并将来の计画を种々と吐露し颇る意气投合した。
07月13日川上工商课长を弁公处に招待し、18时より约1时间半に渡り潮顾问の撤回方を袁总理より川上课长に要求したが川上氏も撤回期を考虑中とのこと更に新たに派遣する三井の川村君に对しても顾问としてなら断る事を表明したが川上氏も代理店として缘の力持ちをするに止まり决して顾问として派遣せざる旨を明らかにした。
续いて自分より改组以后に于ける工厂の情况并今后の方针等を报告した。
会后川上课长を夕食に招待し落成したばかりの客间に于て袁总理、沙、周秘书、王两科长と自分を入れて七人で极めて和やかに食べた。
顾问に关しては14日早速潮が挨拶に来、川上氏から尔后启新へ行くには及ばぬと言って来たので川上氏の明断に感服した。
同时に14日18时顷三井の桥爪支店长代理が川村氏を带同し川村氏の身分を明确にする为やって来たが、袁总理より川上氏の言はれた旨をはっきりし、当方として勿论顾问として待遇せず启新の业务に何等干涉出来ざる旨を明答した。
实に顾问问题は自分を大きく恼ませたが解决したと思ふとやはり愉快で仕方がない。
07月14日朝袁总理、周秘书と军司令部吉野经济部长に会ひ第一四半期に于けるセメント似格の决定方お愿ひに行ったが部长不在の为小泽大佐に会ひ似格の问题と袁总理御母堂の祭田が新しく修理さるべき飞行场道路に侵蚀されたることを以て计画变更方要望した。
续いて池田兵器部长、菅野大佐にも会ひ色々启新内外情势の说明をし、特に目黑少尉に铣铁百瓲早速出して戴いた。
07月15日开发へ木村技师を访れ
1、火药3ヶ月常备(360箱)对策に关する件
2、铁矿石补充に关する件
3、纸袋代用对策に关する件
4、石炭の量、质对策に关する件
を相谈したが何れも解决困难な问题ばかりである。
更に第二四半期供出セメントの予纳を要请した。
木村君の态度は何等か以前の如く热烈ではない。
07月18日伊集院横滨正金银行支配人に案内され袁总理と一绪に司令部三课の中村参谋に面接し约半时间启新の问题を中心に色々语り合った。
感じのよい印象を受けた。
滞在中14日の夜吴姐夫に招待され泽山の友达と一绪に赈やかに夕食をとり宴后例に依り麻雀、それから牌九をやり约5千圆胜った。
10日间の滞在中もう少し北京の公园を散步したかったが仅かに苏夫妻と一寸散步したのみで苏君が大部元气になったのを见て嬉しく思った。
滞在中5、6月の麦粉を处分し5月分は8千圆にて6月分は9千圆にて福荣公司に卖り西公街18号家房を处分した。
147万圆と共に启新の株券を买った。
启兴公司の石炭商卖も顺调に运び非常に惠まれてゐると思った。
07月12日
星期四
─7月20日
星期五
07月12日上午依袁总理的要求,搭八点五十二分的急行去北京出差。
目的主要是要向川上商工课长要求撤回潮顾问。
12日到达后先去北京办事处造访袁总理,报告讨论以下诸事:
1.7月7日厂务会议中决定7月1日开始工资倍额增加案。
2.粮食状况,特别是最近从满洲送来约八百吨面粉,但同时又要给宗课长两吨。
3.唐山设置配给所一事。
4.有鉴于包工制度的缺点,拟将工头收为正式职员,劳工由工厂直接管理。
5.设立迎宾馆(预算一千万圆)。
6.为疏散资材,挖掘洞窟,强化整顿防空洞。
7.华北警备员再改组。
8.处理年老与生病的人员。
袁总理大致上都同意我的提议。
特别是讲到启新这次改组的经纬与将来计画等等,两人气味相投,聊到半夜。
07月13日在办公处招待川上工商课长,从晚上六点开始,袁总理花了一个小时半向川上课长要求撤回潮顾问,川上也说他正在考虑此事。
袁后又表示,若要派遣三井的川村君担任新顾问,我方也不同意,川上也表态,他认为代理店仅是中间协调的角色,决计不能担任顾问。
接着我报告改组后工厂的状况与今后方针。
会后请川上课长吃晚饭,在刚落成的会客室,与袁总理、沙、周秘书、王两科长,连同自己一共七人,气氛极为融洽地用餐。
关于顾问一事,14号潮马上过来打照面,川上告诉他之后不用去启新了,对于川上氏的明断感到佩服。
同时14号下午六点左右,三井的桥爪支店长代理带川村氏前来确认川村氏的职称,但袁总理清楚传达川上所言,表明对方无法担任顾问,也无法对启新的营运多加干涉。
顾问问题苦恼我许久,如今总算解决,大快人心。
07月14日早上与袁总理、周秘书一同会见军司令部吉野经济部长,请对方决定第一四半期的水泥价格。
但因部长不在,改与小泽大佐会面,就价格问题,以及袁总理母亲的祭田被重新整修的机场道路侵占一事,希望对方变更计画。
接着与池田兵器部长菅野大佐会面,说明启新内外问题,特别请目黑少尉及早拿出生铁百吨。
07月15日到开发造访木村技师,商量以下:
1.关于火药三个月常备(360吨)对策
2.补充铁矿石
3.纸袋代用对策
4.煤炭量、质对策
但这些都是很难解决的问题。
并请他先收回第二四期供出的水泥。
木村君的态度不如以前热烈。
07月18日伊集院横滨正金银行经理的介绍下,我与袁总理一起会见司令部三课的中村参谋,花了半小时左右聊了许多启新的问题。
感觉很好。
14日晚上被吴姊夫招待,与许多朋友热闹地吃晚餐,饭后照例玩麻将,后玩牌九,赢了五千圆左右。
十天的北京生活中,本想去北京公园散散步,但只有与苏夫妻稍稍散步,看到苏君恢复元气,觉得很高兴。
趁这段时间把五、06月的面粉处理掉,05月份八千圆、06月份九千圆卖给福荣公司,把西公街18号房也卖了。
得到147万圆拿去买启新的股票。
启兴公司的煤炭生意很兴隆,觉得非常幸运。

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