吴新荣日记>19450527
昨夕、郭维藩君と共に将军へ行って子供达を见た。
途中、徐清吉君を访ねて、この前の扫射を见舞った。
将军へ归って见ると、南图も亚姫子も元气で游んでゐた。
それでその足で久し振りに大道【公】塭を访ね父亲に会って来た。
归路、巷口に立寄って陈清晓、陈穿、黄清泽三君を访ねて昨日の扫射を见舞った。
そして苓子寮にある清晓君の织布工场を见学して布を贳った。
沤汪に着いた时は暗くなったし、番子寮で雨に出会ったので归途は大仪であった。
昨夜はこの难仪を医する为め、风吕に入ったり料理を呼んで食べたりした。
今朝は久し振りに外出用の背广を取り出して着流してゆったりした气持ちで、この雨日を过ごさうとした。
すると朝ぱらから空袭警报が出て、まもなく扫射投弹を[が]三回も续き、小雅园は又机铳五发を受けた。
一弹は屋根、壁、天上[井]、壁、叠、板等六重も射拔かれた。
防空壕の附近も着弹があったが、被害がなかったのを见ると、壕はやはり最上の防壁と云ふべしであらう。
夕方、家长会议の讲演から归って见ると、妻は今日の平安を感谢する为めに、人并みに“赏兵”をしていることに微苦笑もしたくなった。
昨晚,与郭维藩君一起回将军去看孩子,途中去拜访徐清吉君,慰问上次的扫射。
回到将军,看到南图和亚姬子正在高高兴兴地玩着,就顺便去大道公塭看父亲。
归途折到巷口【1】看陈清晓、陈穿、黄清泽【2】三位好友,并慰问昨天的扫射情况。
之后到苓子寮陈清晓君的织布工场参观,给了我一些布料。
到了沤汪天已暗,到了番子寮遇到大雨,归途倍感吃力。
昨夜,为了恢复这一场的劳顿,泡澡后,叫了料理来吃。
今天早上拿出好久未穿的西服,随便披在身上想以悠然自在的心情度过这雨天。
竟然一大早就发空袭警报,很快地接连三次的投弹和扫射,小雅园吃了五发机枪子弹。
其中一颗从屋顶射穿墙壁、天花板,接着墙壁、塌塌米、木板,共射穿过了六层。
防空壕附近也中弹了,幸好没有伤害,可见最好的屏障还是防空壕吧。
傍晚,从家长会议的演讲会回家后,看到妻为感谢今天的平安,跟大家一样地“赏兵”【3】,不禁苦笑。
【注】
【1】巷口:早年由将军溪上岸往苓仔寮途中,有一片自然形成的“林投巷”,在北端入口集结成庄,即名“巷口”。
今属将军乡仁和村。
【2】黄清泽:台南县将军乡人。
黄清舞之弟。
“佳里青风会”会员之一。
【3】赏兵:台语,念siúⁿ-ping(又读为siúⁿ-peng)。
与“犒军”同样为民间宗教仪式,宴请天兵、天将或犒赏神明的兵马,以祈求神明庇佑。
