吴新荣日记>19441231
今朝起きて朝食后、新闻を见ると、长谷川总督が更迭して安藤军司官を任命してゐた。
台湾の一切を举げて战争一本になる态势になったことをづくづく感じた。
こんなことになると、自分个人の问题はどうでもいゝし、もっと大きい问题にぶつかりたいと思って、すぐ又金关先生を访ねることになった。
そこで小谈した后、戻って奇珍兄の所で枨旺と落ち合ひ、配给の药品を受け取らうとしたが、休日なので驮目になった。
それで再び奇珍兄と共に百禄君を诱って町へ出て步くことになった。
町で第一に访问したのは集古家の黄伯熏氏をその齿科医院に访ねた。
百禄君の一家であるが、彼の自称の如くその爱藏せるものは确かに逸物が多かった。
そこで[を]辞してから防空々地设定の为め取り坏はされてゐる水仙宫を见に行った。
そこからでに黄厚姊と陈穿君を访ねた后、新修の赤嵌楼を见に行った。
战争は破坏と建设の连续だとは今更づくづく感じた。
有名な水仙宫を取り坏したり、赤嵌楼を修缮したりすることは又历史的な复杂な交叉があるではないかと思ふ。
然し赤嵌楼をあんなに立派に修缮して下れたことは台湾史を爱する一人として实に喜しい。
归りは方々の防空々地の取り坏しを见て、この台南市の爱着者の老婆心を慰めてくれた。
午には奇珍兄に祖忌があると云ふので、百禄君と共にご驰走になった。
それから二时半のバスによくも乘り迂んだが、途中で故障したのでがっかりした。
お荫で海寮から西港迄步き、曾文溪桥上の黄砂を满吃した。
归って间もなく吴尊贤君が招待に来たので、昨日から来てゐた郭维藩君と又御驰走になった。
やがて家に归り、父亲と子供と锄烧きして围炉の乐しみを皆に味はした。
食后、年计を取ればさすがはインフレの最高调[潮]、自分も年收正に三万金を突破せんとしてゐた。
されど决战の年と云はるゝ今年は将に暮れんとしている。
この年に自分としては如何なることが记录的であったか。
第一に寿山の遭难
第二に夏雄の出世
第三に台湾大空袭
第四に油肥会社操业开始
とにかく添丁と发财があったことは间违いがないが、自分としてはどうしても运の恶かった年(と)しか考へてゐない。
こんな年は早く去って、来たるべき胜利と希望の年を迎へたいものである。
今晨早餐后,看了报纸报导长谷川【1】总督已更迭,而任命安藤【2】军司令官。
让人深感台湾的一切完全投入战争的态势。
如此一来,自己个人的问题已不重要,但愿全力以赴更大的问题。
于是马上又去见金关先生,稍谈之后,回到奇珍兄的地方,和枨旺会合要去领配给药品,但正值休假日,领不到。
就和奇珍兄同去邀百禄君,到街上散散步。
到街上先去访问集古家黄伯熏【3】氏的牙科医院。
他是百禄君的同宗,正如他自称集古家,其心爱的收藏品确实有多件是逸品。
之后到水仙宫【4】凭吊一番,这里因防空空地【5】设定而正在拆毁中。
顺路拜访黄厚姊和陈穿君之后,去看新修护的赤崁楼,深觉战争是破坏与建设的连续。
把有名的古迹水仙宫拆毁,而修缮赤崁楼,真是历史性的复杂交叉吧!
然而将赤崁楼修得那么完善,以爱台湾史的个人而言,足堪欣慰。
归途看到许多被拆掉的防空空地,也可告慰【6】我这个热爱台南的老婆心【7】。
中午,奇珍兄家作祖忌,和百禄君一起去作客。
然后好不容易挤上两点半的巴士,竟然又在中途故障,只好从海寮徒步到西港,吃尽了曾文溪桥上的黄砂。
回到家不久,吴尊贤君来邀我吃饭,就和昨天就已来的郭维藩君同去赴宴。
之后,总算回到家和父亲、孩子们全家围炉吃锄烧,享受天伦之乐。
餐后,结算年收,因通货膨胀的最高潮,年收已突破三万圆大关之记录。
如此,虽说是决战的一年,但今年就要结束了。
这一年对我而言,什么事最值得记录的呢?
第一、寿山的遇难。
第二、夏雄的出生。
第三、台湾大空袭。
第四、油肥会社的生产开始。
总而言之,无疑地添丁、发财都有了,但对我来说,总觉得是恶运的一年而已。
希望这一年快快过去,而迎接胜利和希望之年。
【注】
【1】长谷川:即长谷川清(1883-1970),日本福井县人。
先后毕业于海军兵学校、海军大学校。
1940年11月始任第18任台湾总督,任内缓和前总督小林跻造的宗教政策,组成皇民奉公会,以应付对英、美开战后的情势。
1942年4月1日实施陆军特别志愿兵制度。
1943年8月实施海军特别志愿军。
1944年实施征兵制(翌年4月入营)。
1944年12月离任,回日后任军事参议官,1945年2月任海军战力查察使,其正确的报告,使天皇决定终战。
【2】安藤:即安藤利吉(1884-1946),日本宫城县仙台市人。
陆军士校、陆军大学毕业。
陆军大将。
1944年底任第19任台湾总督。
1945年战争结束后,10月25日代表日方签署降书,于台北公会堂(中山堂)将政权交与陈仪。
后被列为战犯,遣送上海监狱,于狱中吞服氰酸钾自尽。
【3】黄伯熏:台南市人。
日本齿科大学毕业,曾任台南州齿科医师会副会长,台南市齿科医师公会常务监事。
在民生路开伯熏齿科医院。
【4】水仙宫:位于今台南市神农街,为三级古迹。
主祀水仙尊王,亦即海神。
创建于清康熙年间,初建为规模宏伟的三进大殿。
往后随着海上贸易的兴盛,水仙宫内设置了台南商业组织“三郊”的总办处,成为府城的商业中心。
二次大战期间,日人为建防空地,拆除水仙宫后、中两殿,战后就仅存的前殿重建,不复昔日三进规模。
【5】防空空地:此乃日治时期当时的防空空地计划,街道建筑隔一段距离就要拆掉几间,以防止空袭时被炸的建筑的延烧,台语称之为“断火路”或“拆火路”。
【6】也可告慰:拆除古迹、古厝,虽感痛心,但因此而可使古都免于战火,故可告慰也。
【7】老婆心:日语。
替人担忧的亲切心。
