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日本ニュース 第236号

1944年(昭和19年)12月07日

[1]故汪精衛氏安葬 03:12

今はなき中華民国国民政府主席、汪精衛(兆銘)氏の遺骸(いがい)は、陳璧君夫人らに守られて、11月12日、国府要人、谷大使ら、数多(あまた)悲しみの人々に出迎えられ、南京に到着。国民政府大礼堂へ向かいました。

11月23日、汪精衛(兆銘)氏の安葬は深い悲しみのうちにも、いと厳かに行われました。新中国建設半ばにして逝(い)きし汪主席への哀惜の思いは、深く頭を垂れる人々の胸に満ち、国土にあふれました。数万の参列者に送られた汪主席の葬列は、大礼堂を出発。陳璧君夫人、令嬢ら遺族、国民政府要人に守られて、砲車に安置された主席の遺骸は、粛々と梅花山へと向かう。

日本人、中国人、数多沿道を埋めて、東亜共栄の理想も高く戦った汪氏へ別れを告げる。悲しみもひとしお深き陳公博主席代理。

南京空前の大葬列は、国旗と党旗を先頭に、国父孫文の眠る中山廟(びょう)の傍ら、もみじ茂る梅花山に到着。国府要人をはじめ、谷大使、畑元帥、近藤提督、その他各国使臣参列の下、安葬式典は厳粛に行われました。

[2]帝都来襲米機撃墜 04:23

我が防空戦闘隊、陸続と敵機撃墜に向かう。12月03日。あわてず退避。マリアナを基地とせる敵アメリカ空軍B-29の編隊、梯団をもって帝都およびその周辺に侵入中。我が制空部隊、熾烈(しれつ)なる邀撃(ようげき)戦を展開。

高射砲弾幕。我が攻撃、成功。敵機、白煙を吐いて墜落。

千葉県香取郡神代村に撃墜された敵機は、この日の我が制空部隊の果敢なる戦果の1つである。敵が日本に対する攻撃新兵器と唱えているB-29。

車輪のタイヤ。大きな翼。分散せる敵機の一部、一部が物語るその巨大なる機体には、強大な防御力が加えられ、絶対不落を信じていたが、我が制空部隊は体当たり4機を含む、たちまち21機を撃墜。30機以上に損害を与えたのであった。

敵は我が方の邀撃を恐れて、7000乃至1万メートルの高々度をもって帝都を襲った。

その極めて困難なる状況をよく克服して、輝かしい戦果とともに、防空戦闘隊の荒鷲は基地へ帰ってきた。

(撃墜の模様を語る飛行兵)

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