吴新荣日记>19441108
昨日から不快续きなことばかりであった。
わざわざ伡に乘って山子寮迄行ったら、患者の家が分らな【か】った。
车赁を损したばかりでなく时间を浪费すること伙しかった。
今朝未明にも大寮から招れたが、やはり患者の家が分らな【か】った。
この不眼[眠]の上に昨日、黄腾さんや蔡救さんの家で米粉を食べたので、とうとう下痢になった。
それで今朝の义勇报国队の晓天动员にも出ることが出来なかった。
あの大空袭以来どうも公の行事に[を]よく忘れて出席しなかったのはどう云ふ为めか。
この前の街常会や先日の流言防止讲话会も出なかった。
やはり多忙で忘れたこともあるが、最近记忆力が减退したことは争はれない。
大体精神的粮を得ることが殆んどなさないし、又なされない状态にあったからだ。
さてこの大战の分水岭であると云はれてゐるフィリピン方面の陆军最高总指挥官にマライ作战の猛将山下奉文将军を补したことは记录すべきことである。
それで四选确实と云はれるルーヅベルト大统领と云ふ强敌の反攻に对し得ば万幸の至りである。
从昨天就有些不愉快的事接踵而至。
专程雇了人力车到山子寮【1】去往诊,竟找不到患者的家。
不仅是车资的损失,也浪费了许多宝贵的时间。
今晨一大早,被请求到大寮【2】,同样地,也找不到患者的住家。
如此窝囊事,加上昨天到黄腾氏和蔡救氏家吃米粉,换来一场下痢,以致今天早上义勇报国队的晓天动员也无法出席。
从大空袭之后,公家行事经常忘记未出席,到底是怎么一回事?
之前的街常会,前天的流言防止讲话会也未出席。
有时是工作的繁忙而忘记的,可是最近的记忆力减退是不争的事实。
大概是精神粮食没有补充,或无法补充的所致的吧!
谈到此次大战的分水岭,菲律宾方面的陆军最高指挥官,由马来作战的猛将山下奉文【3】将军递补一事,应加记录。
他若能击溃经四选确定的罗斯福总统这种强敌的反攻,则吾人万幸之至。
【注】
【1】山子寮:清末,先民从“顶山仔寮”南下垦殖之庄,名曰“下山仔寮”,简称“山仔寮”。
今属七股乡龙山村。
【2】大寮:昔为大型晒盐场,盐寮建造很多,故称“大寮”。
今属七股乡大寮村。
【3】山下奉文(1885-1946):出生于日本高知县的乡村医生家庭。
第二次世界大战期间的日本陆军大将。
七七事变后,任侵华日军华北方面军参谋长。
1941年任第25军司令官,负责进攻马来亚、新加坡。
1944年任菲律宾第14方面军司令官,同年10月山下到马尼拉就职,负责菲律宾全岛的防务,指挥第14方面军在菲律宾与美军作战。
由于作战勇猛,被人称之为“马来之虎”,其人战后作为战犯被绞死在马尼拉。
