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日本ニュース 第231号

1944年(昭和19年)11月2日

[1]天皇·皇后両陛下 靖国の神霊に御拝 01:50

かしこくも天皇陛下には、秋ようやく深き10月26日、靖国神社に行幸あそばされ、秋の臨時大祭に合祀されました新祭神、2万197柱をはじめ、護国の英魂に御親拝あらせられました。この日、天皇陛下には畏(おそ)れ多くも鹵簿を徐行せしめられ、参列新祭神遺族に対して御挙手の礼を賜(たまわ)れば、竜顔(りゅうがん)を咫尺の間に拝し奉り、遺族一同、ありがたさに感泣いたしたのであります。天皇陛下には御親拝の御後、竜顔ことのほか御うるわしく、還幸あらせられました。ついで皇后陛下にも靖国神社に行啓あそばされ、護国の英霊に親しく御拝あらせられましたが、遺族席の前にては御料車を徐行せしめられ、御やさしき御会釈を賜り、忝(かたじけ)なさに遺族一同、感泣いたしたのであります。

[2]大陸戦場 零陵·梧州攻略 02:49

長沙、衡陽を落とした我が軍は9月7日、零陵を敢然攻略。一方、我が南支軍は9月22日、梧州に突入。南北よりする猛攻に、在支米空軍の重要拠点、桂林もまた崩壊に瀕(ひん)す。零陵飛行場、センノート麾下(きか)、アメリカ空軍第14航空隊が虎の子と頼んだ敵の基地も、敵機の残骸に埋まる。敵は零陵市街をも破壊し尽くして潰走(かいそう)した。

広東省から広西省へ、南支北上作戦も活発に展開。西江を渡って進撃。重慶第7戦区に突入。9月22日、ついに桂林の外郭基地、梧州を攻略。梧州は広西省における軍事·交通上の要点で、その陥落は桂林の命脈を縮めることとなった。敵の基地を潰し、我が高射砲隊は前へ、前へ、その陣地を押し進める。空襲恐れず、隊長の号令一下、火を吐く高射砲。戦野に鍛える高射砲隊の腕は冴え、撃墜敵機の数は増えていく。

零陵、梧州を攻略して桂林に迫る大陸両断作戦と、一方温州、福州に奇襲上陸を敢行した南支那(シナ)先制攻略は、在支米空軍の活動を封じて、ついには太平洋決戦への参加を牽制(けんせい)し、絶妙なる陸海共同作戦は、陸に、海に、雄大に繰り広げられたのである。

[3]比島海戦の戦果発表(大本営海軍部) 01:58

大本営発表。昭和19年10月27日16時30分。10月24日より同26日にわたる彼我艦隊の比島東方海面の奮闘における戦果並びに被害、次のごとし。1、総合戦果。撃沈、航空母艦8隻。巡洋艦3隻。駆逐艦2隻。輸送船4隻以上。撃破、航空母艦7隻。戦艦1隻。巡洋艦2隻。撃墜、約500機。2、我が方の損害。艦艇、航空母艦1隻。巡洋艦2隻。駆逐艦2隻沈没。航空母艦1隻中破。飛行機、未帰還126機。右のほか、かく26日発表のごとく、レイテ湾において戦艦1隻沈没。1隻中破の損害あり。注、本戦闘をフィリピン沖海戦と呼称す。

[4]豊田連合艦隊司令長官 航空部隊を視察 01:08

連合艦隊司令長官豊田副武大将。撃滅、また撃滅。台湾沖に、重ねてフィリピン沖に寡をもって衆を制す。比島奪回を呼号する敵艦隊をとらえて許さず、撃滅の秘策を携えて前線に勇姿を見せる豊田副武大将。帝国海軍は10月24日朝から、空と海、相呼応してフィリピン侵攻に出動する敵機動部隊並びに輸送船団を比島東方海面にとらえ、ここに太平洋上の一大決戦は、その深刻の度を加えてきた。再び生きては還(かえ)らじの覚悟を秘めて、1機、また1機。海の荒鷲はかなたへ飛ぶ。フィリピンの沖へ。

[5]艦隊出動 01:13

艦隊出撃。帝国無敵艦隊は、敵アメリカ艦隊の挑戦に応える。満を持すること久しくして、今や矢を放つ。今日、既に空の戦いあって初めて海の戦いは成り立つ。されば我が無敵艦隊の空の陣、鉄壁の制空を目指して乱れ飛ぶ。しかし、この時我々は、神風特別攻撃隊敷島隊、関大尉以下の、スルアン島沖に必死必中の体当たり攻撃を敢行したる尽忠を聞く。ああ、轟(ごう)撃沈の大戦果、ここに燦として輝く。

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