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叶盛吉日记>19441019

10月19日(木)

夜トリンケンの配给あり。
一人にコップ一杯。
さかなはないので味噌でがまんする。
工场ではタンクに古酸が一杯たまって未だ处理出来ないので本日は仕迂を中止する。
雨の中を面[绵]药运搬。
煮洗场の手传いをする。
九州延冈より来たる绵药を运び槽に入れる。
【栏外】
①中目と次の问题に就き论ず。
宗教、实证主义:“宗教は民族感情の表はれである。
而して民族感情は洗礼により变へられるものではない。”といふローゼンベルグの言に就いて、彼はユダヤの绝对恶について述んが为にかヽることを云ったのであらう。
何故なら一般の人々はナチスのユダヤ排斥を非难して曰く、成程ユダヤ人の中には世界人类を敌视し、ユダヤ教を奉じてゐるが、中にはキリスト教徒で一般の人々の间で真似[面]目に生活して居る。
それに对し、ユダヤ人だからとて迫害を加へるのは妥当ではないと。
之に对してローゼンベルグは、假全ユダヤ人が洗礼に上って改宗したにしても、やはりその民族感情は拔けず、やはり人类を敌视すると云ってゐる。
即ちユダヤ人は他の民族がそれに对する迫害の反动を示すものではなく、もともと人类に对し、さうであったと。
宗教は阿片なり、まひである。
实证主义的科学者は、神学者、哲学者が见る世界を指してあれは幻想だといふ。
しかし宗教なるものは单なる幻想とは云はれないものがある。
何故に、それは时の陶[淘]汰を经てゐる。
人の考には实证主义のみではない。
工员のさぼり;
我々が此の工场へ来て感ずることは我々は工员を乐にする为に来たやうなものであるといふことである。
今日も我々が煮洗场へ手传ひに来ると、我々が作业をしてゐるのを尻目に、工员は游んでゐる。
人を使ふときは、人々をして此の作业はかもいぞ、すぐにすむといふ感じを与へるに限る。
工员の不平;
お昼过ぎ、十六工场で火にあたりながら、少々インテリ的な工员とた[だ]べった。
权力の番犬になるは易いが之に抗するはむづかしいと云って、昔二高は仲々志士が居たが今はどうか。
さはり表面に出ないけれども居るのだらう等と云った。
一般の人々の国体意识はについてきいて见ると、それを持ってゐるのは若いものだけで、一般の人々は生活に追はれて何も考へてゐない。
只生活が保证せらるれば谁の号令でもきくといふ状态である。
往时社会问题が大いに论じられたから今日はもううまく云ってゐるのだを思って居ると、さうではない。
只大战争といふ名のもとに一切の反不合理が芽の出るのも抑压されるだけの话だ。
その人は三十七岁で昨年征用されて来たとき日给一圆四十钱であるといふ、现在给料で生活出来る者は居ないと。
只昔のストツク、家财を卖っては生活をして行って居る状态であると、国体观念が真实のところ国民の脑里に强くしみこんでは居ない、例の共は近く表面化すると小野浩は云った。
并し、その芽は既に工员の言の中に见出し得る。
午后も仕事なし。
夕方定时と思って归る集りで风吕には入って居ると、全员定时とあるのは工员の黑板に于ける乐书である事が分る、无论仕事はない。
只时间がもったいない。
无驮な时间があれば勉强すべきである。
岛田工长の失言问题;
岛田工长は数日来女学生をして炭カスをトムソンの附近にまかしたところ、不完全烧したるには、その上に灰をまいでごまかさんとせしところ、二高生は体裁の为に炭カスを撒くのはつまらないとて、绵乐[药]运搬のroadにまいたところ、岛田工长中学生四五人に云ふに、白中【1】生と二高生はさっぱり动かないでぶらぶらしてゐる、トムソンは工员と女子生だけでよいと、学生のぶらぶらしてゐるのを见るとなじりたくなるが学生だから我慢してゐると、二高生はいらないと。
彼は09月上旬も二高生に对し女学生に负けないやうに动けと云へり、あのときは彼の言を良意に介せしも彼は其の顷より、かヽる先入观あり、彼は工长して人の指导する资格なし、もっと实情を见て戴き度い绵药が独りで煮洗槽にでも飞んで行くといふのか。
确かに二高生は工员のやうに要领はよくないし、几多の反省すべき点はある、されど二高生にして辱かしめられて、そのまヽひき下った例しはない。
若し之が寮单位なら、总务の下寮一つ火の玉となってふんげきしてぶっつかるのだが残念ながら现在のクラス单立[位]に于ては我々さうは出来ない。
去年飞行场に于て一寮はづかしられたとき、角田さんは敢然と立ち、寮一丸となりてぶっつかった。
あの顷を思ヽば寮单位にしないのがそもそものあやまりで修练部の无能、暗愚がしゃくにさわる、
我々は多少の欠点を自身に有しても、斗争的でなくてはならぬ。
②今日また酒の给[配]给あり。
コップに一杯、さかなはなすのをしんこ、
10月19日(四)

晚上配给酒。
一人一杯。
没有下酒菜,只好忍耐点吃些味噌。
工厂的储存槽还累积很多旧的酸液无法处理,故今日停止装填。
在雨中搬运火药棉。
到煮洗场帮忙。
将来自九州延冈的火药棉搬入槽内。
【栏外】
①与中目讨论以下问题。
宗教、实证主义:“宗教是民族情感的表现。
而民族情感并不会因受洗而改变。”关于罗森堡这段话,他认为那是针对犹太绝对之恶所言。
因为一般人都批评纳粹的反犹太。
原来犹太人中有人敌视世界人类,信奉犹太教,其中也有基督徒学习一般人生活。
相对的,只因为是犹太人便加以迫害是不适当的。
对此罗森堡表示,即使所有犹太人都受洗改信基督教,仍无法洗清他们的民族情感,因此仍然会敌视人类。
也就是说,这不是犹太人对其他民族迫害的反扑,而是对人类的反抗。
宗教就像是鸦片,令人麻痹。
他们说实证主义的科学家、神学家、哲学家所见到的世界是幻想。
但宗教也有不全然是幻想的部分。
因为它有经历过时间的淘汰。
人类的想法并非仅有实证主义。
工员偷懒:我来到这个工厂的感受,就是觉得我们似乎是为了让工员轻松而来的。
今天我们在煮洗场帮忙,就看到当我们在工作时,工员却在那里玩。
让我们感觉他们叫他人工作时,都跟我们说这工作很轻松,一下就做完了。
工员的不满:中午过后,在十六工厂靠在火炉边,跟一个有点知识份子气质的工员聊天。
也提到要当权力的鹰犬很容易,与之对抗却很困难,过去二高有不少志士存在,那么现在又是如何呢?
也许有,只是不太能表现出来。
也试着调查一下一般民众的国体意识,大多只有年轻人具有国体意识,一般民众为生活所逼,无法有多余的想法。
于是变成只要能保障他们的生活,谁的命令都听的状态。
如以为过去对社会问题已有许多讨论,所以现在一切都运转得很好,但实际上并非如此。
只不过是以大战争之名,压抑所有任何一点反不合理的征兆。
他三十七岁,据说去年被征召来时,日薪一圆四十钱,现在的薪水还是捉襟见肘。
还是靠吃老本、卖家产生活的状态,可见国体观念并未真正深深渗透到国民的脑中,小野浩也说这个问题将很快会表面化。
但从工员的口中已经可以看到那个征兆。
下午没工作。
傍晚想说可以准时下班而去洗澡时,才知道“全员准时下班”的字样是工员在黑板上乱写的,当然没有工作。
只是浪费时间。
既然有多余的时间就该读书。
岛田工头失言问题:岛田工头这几天来叫女学生把炭渣洒在汤姆森附近,只是要在不完全燃烧的东西上面洒上一层灰来掩饰,二高生为了面子,觉得这样洒炭渣没意思,就洒在搬运火药棉的路上,岛田工头就对四五名中学生说,白中生和二高生都游手好闲不工作,汤姆森只需要工员和女学生就够了,看到学生晃来晃去早就想要加予殴打,只因为是学生所以才忍了下来,我们不需要二高生。
他在09月上旬也对二高生说要我们好好努力工作,别输给女学生,当时我们还觉得他是善意鼓励,但他从那时起就已经对我们有成见、他已经没有作为工头指导人的资格。
请他要多看实情,难道说火药棉自己会飞到煮洗槽里面去。
二高生的确无法像工员那样熟练,我们也有些该反省的地方,但身为二高生受到那样的侮辱,也不能就这样置之不理。
如果是以宿舍为单位,总务以下全宿舍可能会群情激愤。
可惜在目前班单位之下我们无法如此。
去年一舍在飞行场被侮辱时,角田挺身而出,让全宿舍团结起来对抗。
也许是想到那时候的事才不采宿舍单位,总之都错在修练社的无能、愚昧令人不满
我们自己也多少有些缺点,必须具有斗争心。
②今天又有酒的配给。
杯子一杯,下酒菜是腌渍茄子。

【注】
【1】白中:应指宫城县白石中学校,位于宫城县刈田郡白石町,今属白石市。
(宫城县教育会编,《宫城县学事关系系职员录》,仙台:金港堂,1922,页184)

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