叶盛吉日记>19441015
10月15日(日)
快晴
初霜;
晴れて星の辉く夜空は实に身も心も冻らんばかりの寒さだ。
夜勤终へて归る道には初霜が下りてゐた。
见れば今しも旭をうけた藏王の连峰はその红叶と共にいよいよ赤紫に顶上には真白き雪すら见えた。
日々同じ色をしないこの山の姿はまた旭日前の刻々の色の变化も急であった。
すんだ冷い朝气の中でただ美しい天然の景色と色彩とに打たるヽのみだった。
左の方を见れば黄金の稻田にかこまれた农家には大きな柿の木、うらの林は红叶……の山は红、紫、绿に、そして朝もや立ちこめて此の上なく美しい秋の朝だった。
沼からはゆらゆらと沼气立ち、生ひ茂るコスモスも寒さう。
七时ので仙台へ、驿前大いに寒し、久しぶりの归寮で大いに嬉し、スタスタと步いて行く。
途中で一年生の平泉に行くとかに出会った。
皆农村で大いに阳やけし、またふとってもゐた。
小生の寮の荷物;
寮では日向ぼった。
片平及び石川【1】(二寮一年)の入营に送るハチマチに记名した。
小生の机及び本立は一寮の一室に、行李及び荷物はそのまヽ十室にあった。
中村のところへ行ったた[だ]べった。
二寮は何となく、淋しさうだった。
明るさがない。
少ししょんぼりとしてゐた。
高木は相变わらずはなが高い。
もちを食ふ。
片平发つ;
一寮では皆大体一年生は红叶を求めて旅行に出て居た。
昼食后五寮片平のところへ行ってたべった。
午后本屋めぐり、福建语の参考书を探したがなかった。
泉式速记【2】の参考书をかふ。
中村は小生に二寮德山、黄の外泊はすまなかったといった。
小生に话してもらへばわかったかも知れないと言って居た。
退寮も止むを得ないことだ。
二寮のやうなあヽ云ふところではと小生は思った。
おひるすぎ学校へ行って学资金を下した。
09月27日日付で116圆きて居た。
これが最后かも知れない。
干事记录;
片平に干事记录をかす。
大高さん;
夜大高さんの家で夕食をいたヾき色々た[だ]べった。
汪兆铭はえらいと云って居た。
もしも彼が立たなかったら中国の民众はもっと死んで居たであらうし、建物をもっと破くわいされたであらう。
彼は人民を救ふ为に立った。
色々话しをし、满洲に行きたきことやら语学の大切なることやら话しし、九时の夜车で大河原にかへる。
11日の时刻改正で之が最终だ。
10月15日(日)
晴朗
今年第一场霜:晴朗而星光闪耀的夜空,却只是使我身心受冻的寒冷。
结束夜班回宿舍的路上下了今年第一场霜。
眺望朝阳下藏王山脉上,因红叶而呈紫红色的山顶,已可见到洁白的雪。
每天呈现不同颜色的山景,在旭日照拂下,每一刻的颜色都快速地流转。
在早晨清澈而寒冷的空气中,总是被这样美丽的天然景色与色彩所感动。
左方可见到被金黄稻田所包围的农家还种着大棵的柿树,后面的森林充满红叶……山呈现红、紫、绿色,更笼罩着一片晨雾,真是无限美好的秋季早晨。
沼泽散发着氤氲的水气,盛开的大波斯菊看来也很冷。
七点到达仙台,车站前非常冷,但久违的回宿舍很高兴悠闲地漫步着。
途中遇到一年级生要去平泉。
大家都在农村晒黑了,也胖了。
我在宿舍的物品:在宿舍晒太阳。
在欢送片平及石川(二舍一年级)入伍的签名板上签名。
我的书桌和书架在一舍一室,行李与个人物品原封不动放在十室。
去中村那里聊天。
总觉得二舍特别寂寥。
一点都不开朗。
有些萎靡不振。
高木还是很骄傲。
吃麻糬。
片平出发:一舍大部分的一年级生都为了看红叶出去旅行。
午餐后到五舍找片平聊天。
下午逛书店,试着找福建语参考书却没找到。
买泉式速记参考书。
中村跟我说二寮德山、黄外宿很抱歉。
想说如果有跟我说的话或许能理解。
这恐怕只能退宿了。
想到如果像是二舍那种事。
下午到学校领学资金。
09月27日有一百一十六圆。
也许是最后一次了。
干事记录:向片平借干事记录。
大高先生:晚上到大高先生家吃晚餐,也聊了很多。
他说汪精卫很伟大。
如果没有他,可能要牺牲更多中国民众,也有更多建筑被破坏。
他为了挽救人民挺身而出。
聊了各种话题。
他也说要去满洲的话语言很重要。
搭九时的夜车回大河原。
11日火车改点后那是末班车了。
【注】
【1】石川:石川智,日本东京人,记主第二高等学校学弟,11月10日入伍。
(〈生徒名簿
昭和十九年04月〉,东北大学史料馆典藏,档号:PR2016-06620)
【2】泉式速记:当时由乙部泉三郎所发明与推广之速记术。
(乙部泉三郎,《泉式速记术精解》东京:梧桐书院,1944)
