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叶盛吉日记>19440930

9月30日(土)

朝から绵药运搬をやる。
明日は寮祭なれど我々日勤は临出なり。
临出废止の大纷きう;
①‘されば我々合议にて明日休みにしてもらふことを本山班长に交涉せり。
本山さん气嫌よく承诺せるも赤石、池内【1】等海洋班の连中は猛愤をし、余に对し、生徒大会の事やら、常务干事の事やら或は寮祭と工场のアルバイトとをどう见てゐるのか、余に责任を问ふところありしかば、余は君たちの思ふ气持は正しい。
君たちの气持は本当の二高生の气持かも知れない。
されど余は己れの行动に对し、自信を以て居るが结果として君たちの期待を里切った事は余にとて诚に济まない。
されど余は一二高生として此の问题を考へ吴れ……常务干事或は明善寮の干事と思ふな。
今の余は最早……持の余ではなく、明善寮干事たりし顷の余でもない。
余は此のアルバイトは绝对寮单位を主张した。
此の事は余にとって实に好都合である。
何故なら友情といふ点。
寮のむつび合ひといふ点が即ち只友の为に蹴张るといふ点によって一切の矛盾を乘り切り得るからである。
されど寮单位は容れられず、余は当然来る矛盾生活を豫想し常务干事辞任をほのめかしたが之また容れられず、遂にやむなく今日に至った。
さればⓄ余に向ひて过去の事を问ふなら、また07月20日生徒大会に予の云ひし事で以て余に责任を问ふなら、より大いなる国(体)家なるものが过去の历史を明かにしない限り、そして过去の一切の事に对し、责任を负ひ、その非を速刻に改めざる限り、余もまた过去の事に关しては一切责任を负ふまい。
故に余は累の尚志会、明善寮に及ぶを恐る。
いささかなりとも恩をうけたるものに对し甚だ相济まぬと感ずるから……余は今回のことは全く只一个の二高生としての余を见……念を押した。
或る意味で秋山らと俺たちの立脚点は违ふ。
只结果として着はれる形は似てゐるにすぎない。
彼等の气持は正しい。
强いて、云へば己の体力を鼻にかけ、自ぼれの强いところは责めらるべきであらう。
余は今后の身のしよし方を考へた。
刻々につのる憎恶は余をかつて生活を一层矛盾に陷らしめるばかりなり。
されど表面のみ妆ふは余の为し得ざるところ、大なる目的の前の小なる忍耐なるか。
血を强张するを闻けば闻く程余は友情や人の情に对しても理性は强く憎恶を强要するを如何ともしがたい。
やばんに对してより良き爱想を示すべきであらう。
坊主憎けりやけさまでぢやまづい。
全く矛盾に满ちた生活の目々は余を驱って幼き日の怨み多き思い出にはせらしむ。
そは骨身に秘みて忘れず、我が父、口には云はざれど、己れを轻ぶせんとする者に对してはのろはしき口ぶりなりき。
我が母また死に至るまでのろひたり。
あの日々血泪をしぼりし人々よ、历史よ。
されど天日は极めて明かなり。
神のみそぎを逃れる事は出来まい。
现に大なるみそぎ拂ひが行はれつつあるを感ずべきなり。
我が思ふ日は早く来らん、只その日……争斗をいどみ、
正を天に任し、白日の下に斗はん。
今日の纷きうは余より见れば余の矛盾生活の一つの表はれでもある。
余は今后より大なる爆发を恐れ。
大なる目的达成の为に。
君子自重、
余は余の身のしよし方に对しては常に确信を以て动いて居る。
余は余のたいだを防ぐ为にやるときは大いに元气を出してやり、その代り大なる余暇を要求す。”
②大官[宫]、テニヤン岛玉碎す、【2】寮庭にて夜空に默祷を捧ぐ。
③大河原のメチ公に话しかけるなかれと中目は云ふ。
何故かと云ふに、彼等は数人で何时までもその事を云ひ合って实にうるさいから用心すべきである。
09月30日(六)

一早就开始搬火药棉。
明天虽然是宿舍庆典,我们日班要临时出勤。
废除临时出勤让大家大为骚动;
①‘那么我们就一起跟本山班长商量明天休假。
本山爽快同意,但赤石、池内等海洋班则大为不满,质问我如何看待学生大会、常务干事,以及宿舍庆典与工厂帮工,以及我应负的责任。
我觉得你们的想法都是对的。
也许你们的心情才真正能代表二高生的心情。
但我对自己的行动过于自信的结果,导致辜负你们的期待,对你们很抱歉。
不过,请把我当作一位二高生来思考此一问题。
请不要把我视为常务干事或明善舍的干事。
现在我已经不是…时的我,也不是担任明善舍干事时的我。
我也曾主张这次帮工一定要以宿舍为单位。
这样对我而言也比较好办。
因为以大家的友情来说是这样。
从宿舍间和睦相处的考量,也只是觉得如果为了朋友而努力,可以化解一切矛盾。
但可惜无法实施宿舍单位,我曾因为生活上可预期的矛盾而表示要辞去常务干事,却也不让我辞,才不得已拖到现在。
因此Ⓞ若要问我过去的事,或是关于07月20日学生大会要追究我的责任,但若不理解更大的国家(体)过去的历史,而关于过去的一切负起责任,如果没有立刻改掉这些错误之处,我对过去的一切概不负责。
因此我觉得恐怕会连累到尚志会、明善舍。
因为他们对我们少许的恩情,而觉得有些过意不去……我觉得这次事件完全就我身为一个二高生的观点……再次注意。
某种意义而言秋山与我们的立场不同。
只是其结果所呈现的形式相似而已。
他们的想法正确。
但如硬要说,他们自恃体力好,又很自大,这一点是的确该被批判。
我想到今后应如何自处,不断累积的憎恶只是让我的生活陷入更深的矛盾之中。
因此我不能再粉饰太平,为了大目标必须忍耐小事。
越是执著于血统,我对友情与人情就越理性,很难强迫他人带着强烈憎恨。
还是应该对人更加和善。
无故迁怒总是不好。
这充满矛盾的生活,使我小时候充满埋怨的日子历历在目。
令我没齿难忘。
父亲嘴上虽然不说,对于轻视他的人总是满怀怨恨。
怨恨到我母亲过世为止。
当时充满血泪的人们啊,历史啊。
但老天有眼。
无人能逃过神的净化作用。
事实上应感受到极大的净化仪式正在进行中。
我心中理想的日子尚未降临,只在那一天……迎向争斗。
何者正当交由上天判断,想要光明正大地战斗。
今天的纠纷在我看来,也是我的矛盾生活之一。
我只担心之后会有更大的爆发。
为达成更大的目标,君子自重、
我一直都确认好我的立场而行事。
为了防止自己怠惰,都会要求自己好好打起精神,相对也要求足够的空闲时间。”
①大官、天宁岛全军覆没,在宿舍庭院向着夜空默哀。
②中目叫我别跟大河原那爱把妹的家伙讲话。
因为他们那群人爱搬弄是非,实在很麻烦,要小心一点。

【注】
【1】池内:池内宏,日本福岛县人,记主第二高等学校同班同学。
【2】根据报导,日本陆军于大宫岛与天宁岛之战役,经过两个月的奋战,终究以全军覆没收场。
(〈大宫岛、テニヤン岛
全员壮烈な战死
全在留同胞に散华〉,《朝日新闻》,1944年10月01日,第二一〇二十九号,版一)

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