日本ニュース 第226号
1944年(昭和19年)9月28日
[1]歓喜に湧く東印度 03:20
09月07日、小磯首相は第85帝国議会において、東印度に対し、将来その独立を認める旨を声明。現地ジャワでは、ジャカルタの陸軍最高指揮官官邸において、原住民代表参集。厳かにその伝達式が行われ、原田陸軍(音声中断)最高指揮官、声明文を朗読。
<原田指揮官:
本9月07日、第85回臨時議会において、小磯内閣総理大臣より、東インドは将来独立せしむべき旨、中外に闡明(せんめい)せられたる。
本職、御陵威の広大無辺に驚喜、感激し、ここにジャワ派遣軍将兵の(聞き取り不能)勇戦と、友好国民の挺身(ていしん)、奮闘を祝すとともに、積年の宿願を達成せるジャワ5000万住民の勇気を思い、衷心より慶祝の意を表する次第なり。>
全インドネシアを代表、スカルノ氏、心からなる感謝の辞を述ぶ。
<スカルノ氏>
「畏(おそ)れ多くも、またありがたき天皇陛下のご仁慈に感銘。ここに全東印度を代表して、全力を捧(ささ)げてあくまで戦い抜くことを誓うものであります。」
(国民に伝達)
ついに訪れた、輝かしき黎明(れいめい)。300年にわたるイギリス、オランダの圧政に呻吟(しんぎん)したインドネシアは、今、新しき希望を抱いて進発する。全東印度は歓喜と興奮のるつぼと化し、独立認容記念日の9月07日より1週間、民族祭を挙行。全島を挙げて各種の感謝行事がはなばなしく繰り広げられたのであった。思えば帝国が東インド原住民多年の念願に答えて、その政治参与を認めたのはつい昨年のことであった。しかるに今また、この独立を約束するに至ったことは、終始一貫、変わらざる帝国の真意を物語って余りありと言うべきである。
[2]米空軍の野望撃砕 B-29バンコクを爆撃 01:02
敵米機、またもやバンコクを襲う。市民、すばやく退避に移るや、はたせるかな、敵機は高々度より盲爆を行う。
日タイ協同の防衛陣に、敵の誇るB-29もたちまち煙を吐いて遁走(とんそう)。バンコク防衛隊の闘魂いよいよ固く、防火救護とめざましい活躍が続けられ、被害は最小限度に食い止めたとはいえ、アメリカ軍の無差別爆撃に市民の憤激はますます高まりつつある。
[3]在支米空軍の衡陽基地群制圧 02:03
昆明、桂林、衡陽、遂川を結ぶ在支米空軍第14航空隊の我が本土進攻路は粤漢線に沿って南下する精鋭と、南支より北進する我が部隊の急進撃に衡陽、零陵、梧州と相次ぎ前進基地を失い、背后の中心拠点、桂林また重大脅威にさらされるに至った。
中支那(シナ)における日米制空権争覇の分岐点として、大きく浮かび上がった衡陽航空基地群。飛行場を中心に、網の目のごとく張り巡らされた誘導路や、飛行機用の掩体壕(えんたいごう)が見られ、さすがに不落を誇った航空要塞(ようさい)の名にふさわしいものがある。この飛行場完成にはおびただしい中国人が動員され、彼らの血と汗の犠牲とによってなされたのである。しかも米兵は、危機迫ると見るや、この基地よりいち早く后退し、重慶軍に死守を命じ、飛行場守備の責任を重慶軍にのみ要求したのであった。
ここにみる豊富な兵器や、十分な施設も、我が軍の急進撃にみじめなる残骸(ざんがい)をとどめるにすぎず。衡陽の陥落は敵側にとっては中南支航空基地の崩壊を物語るものであり、桂林の死命を制せられたに等しく、大陸よりする対日総反抗拠点の一角は、もろくも崩れ去らんとしている。
[4]獨新兵器 走る爆弾 01:12
科学の国、ドイツが生み出した新兵器の1つ。見たところは豆戦車そっくりで、后方から操縦。目標物に突進して爆発する。自由な運動性と強力な爆発力は特火点等の破壊に威力を発揮すると言われている。現在では、さらに大型化したこの新兵器の出動が伝えられ、欧州戦線の壮烈な攻防戦での活躍が期待される。
