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叶盛吉日记>19440906

09月6日(水)

今は02日间中绝せし冷水浴をやる。
【合计15カメ】
今日は午前中は仕迂をやる。
八かめ位仕入んだので相等うまくなり、酸に对する身の处置方もうまくなった。
しかし紧张してやるので(分解しないやうに)全身汗でだくだくになる。
防毒マスクがあごにしまって痛む。
午后から绵糸缶及び绵药の运搬をやる。
相当に腹がへって身体がだるい。
疲劳甚だしきか。
特に中岛あたりは迟番が衰弱して居るのを奋がいしてゐる。
中学生はよく动き、女学生はよくさぼって、笑ってばかりゐる。
全ての事は我关せず焉だ。
中目と支那语をやったり、だべったりする。
【1】
①“夜寄宿舍にて映画あり。
下弦の月山の端に黄色くかゝりて、空には星がまたゝいて夕风が凉し。
余は、一寮の二阶より映写幕をつるし、寮底の野元にて行はれる映画に、幼な昔、余が未だ公学校の顷、会社のテニスコートにて行はれた无声の映画を思ひてしばし、元高き星を见入つて、思ひを万里にはせ、决意の血に奋ふのであった。
あの顷の余は、しひたげられたる外界环境にあって、唯、亲の爱といふ内的环境のみによって、平和な救はれたる幼き日を送ったのであった。
さればかゝる爱の中にあった余は、その中に美くし温きものを见出す事が出来た。
实にその中に于てのみであり、外界は静まれるしつこくの修罗场であったのである。
此の事实は余が年をとるにつれて、亲の许をはなれ、外界に独りで接する机会を得るに及んで此の外的修罗场は全く决定的の铁锁であり、教育に于ては此をまひせんと努める一方、现实に于て苛酷なる激しさを以て日々迫って来るものである。
全く教育と现实の姿といふものは冢本大佐の云へる如く、头をなでゝ足で蹴っ飞ばす样であった。
现在の事情を知りたる余は、过去の未だ何も知らず、美くし温きものを见出し得、满天の星に见入り、果てなき果を行く云を望の翼と观じた时代が无性に平和にして乐しかった。
映画は“不沈舰击沉”【2】なるものであったが、大したものではないが工员、大众の心理を增产にかきたてるには相当效果があるであらう。
もっとも日々唱へられて耳がたこになって、免疫性となり、その场限りの感激しか涌かぬかも知れない。
映画に于て雪の朝に昭和十六年12月08日の对米英开战の大本营发表が出たが、余は当时山王台上にそびゆる都立一中の补习科に通ひ、その日は校庭に于て、校友と共に国民の一员として、所谓大なる感激にうたれたのであった。
【3】ハワイ奇袭作战の报、大诏の奉戴、若き汉文の先生の感激、等々が、今の余の眼前をかすめて往时のあの跃动的なる日へと余をひっぱって行く。
01日中スピーカの音がし、夜は二时顷まで、下宿でおぢんちゃん、おばちゃん达と栗を烧いた、そしてせい层圈飞行の空袭があるかも知れないといふのでいやに、期せずして真暗なりし东京を思ひ浮べた。
あれから三ヶ年の月日はあまりにも早く流れ、世界历史はあまりにも急转直下に变转を遂げ、只々感慨无量なり。
寄宿舍では蚊は秋风と共に少くなったが蝇が实に多くて困る。
夜中ともなれば虫の音、こほろぎのなく、かまびすく、一とときは大自然の静寂に余をひき入れて怀旧の情に余を驰せらしむ。”
09月6日(三)

今天继续停了两天的冷水浴。
【合计15次】
今天上午做装填工作。
装填八罐之后熟练许多,对身上沾到酸液的处置方法也熟悉了。
但因为做起来很紧张(为避免分解)还是做到全身汗流浃背。
防毒面具绑住下巴很痛。
下午搬火药棉罐和火药棉。
因为很饿全身无力,甚为疲劳。
尤其中岛那批人因晚班的衰弱而很生气。
中学生很认真工作,女学生却都在偷懒,只在一旁笑。
所有的事都与我无关。
与中目一边学中文,一边聊天。
①“晚上宿舍放映电影。
下弦月将山的一边染上黄色,夜空中星光闪耀,晚风送爽。
我从一舍的二楼挂上放映电影的布幕,在宿舍外头所放的电影中,想起小时候,我还在读公学校时,在(制糖)会社的网球场上放映着无声电影,看着高空中的星星,使我热血沸腾。
当时年幼的我身在一个不自由的外在环境下,只因为有父母疼爱的内在环境,才能过着平安的每一天。
在这样的爱之中成长的我,才能发现其中美丽而温柔的一切。
其实只有在内在环境如此,外界则是被打压噤声的残酷人间炼狱。
当我年纪渐长,离开父母身边,有了独自接触外界的机会,才发现这外在的人间炼狱是一个命中注定的枷锁,当我们试图用教育去缓和,现实的苛酷却步步进逼。
教育的现况正如冢本上校所言,像是先摸摸你的头然后猛踢你一脚。
知道现况的我,想到过去可以什么都不用管,有美丽而温柔的一切,可以眺望满天星斗,将无尽的白云想像成希望的羽翼,那样的时代是如此和乐。
电影是《不沈舰击沉》,虽不太起眼,但对劳工、大众的心理上能够达到相当的增产效果。
毕竟每天不停地强调增产,已经连耳朵都要长茧,都有免疫性了,或许看完电影的当下会有一些感动吧。
电影中下雪的早晨,是昭和十六年(一九四一)12月08日大本营发表对英美开战之日。
我当时在建于山王台上的都立一中补习科就读,当日在校园里与同为国民的一员的同学们,都大受感动。
夏威夷奇袭作战的报导、大诏奉戴、年轻汉文老师的感动,那历历在目的往事都带着我前行。
一整天扩音器的声音响个不停,当晚凌晨两时多,住处的叔叔、阿姨烤了栗子请我们吃,同时也想起为了防止成层圈飞行空袭,突然变得一片漆黑的东京。
时光飞逝,一下就过了三年,世界历史的变化是如此地急转直下,只让我们感慨万千。
寄宿舍的蚊子随着秋风逐渐变少了,但苍蝇很多令人困扰。
晚间可以听到虫声,蟋蟀的叫声喧嚣,暂时将我带入大自然的寂静之中,沉浸在往日情怀里。”

【注】
【1】1944年05月21日,台湾籍的二高学生举行了欢迎台籍新生的茶话会,会上杨威理提议之后和记主间的谈话,原则上以北京话为主。
杨威理认为这是想要透过讲北京话来提高民族意识的例证。
08月中旬到船冈军需工厂做战时劳动服务前后,也想透过中文的学习来找到自我认同,因而开始向曾在旧满洲住过七年的杨威理学中文、论汉语,因而他们的寝室变成为中国语室。
(杨威理着、陈映真译,《双乡记》,页116、144-151)
【2】不沈舰击沉:1944年03月23日上映,由松竹株式会社大船摄影所制作,牧野正博导演,小国英雄编剧,井上正夫、小泽荣太郎主演的战争电影,片长九十六分钟。
(allcinema、日本映画情报システム,2017.11.14阅览,http://www.allcinema.net/prog/index2.phphttps://www.japanese-cinema-db.jp/
(《叶盛吉日记(二)1941》,页363)

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