年月日:1944:19440903:19440903-h-roc-s27-003-叶盛吉日记



叶盛吉日记>19440903

09月3日(日)

各组とも约半数だけ休みで、他は来周にして二周间に一回の休みなり。
①昙と见るや七时半顷よりしてだんだん晴れて来た。
加藤の亲类の后藤といふ人が东根村に居るので其处に行かうといふ。
八时半顷朝日うららかな中に铃木、天野、加藤等と四人でアスフアルトの道を船冈へ向ふ。
途中大いに田舍はよいといふ。
かぼちや畠、たうきび畠、なす畠に、百日草眼につく。
船冈でアイスクリームを食ひ、猛烈にコムんで居る省营バスの最后に强引に乘って、峰岸【1】といふところで下りる。
附近丘陵のやうな山々をとほり、俗化されざる田舍はよいといひながら、阿武くま川【2】の土手を行く。
渡しで舟にのり、更に土手を越えて行くと、狭いながらきちんとした田圃が目につく。
みのりは水不足で上乘でないやうだ。
国民学校の里にあった家で二阶建の农家だ。
先づ快适なおぢんちん、若いおばんちやんに迎へられて大粒のぶどうをうんとくふ。
しばらくして二阶にのぼり、レコードをきゝ、古い昔の主妇の友等をひっぱり出してよむ。
しばらく昼ねして三时顷、ぶどうをつめる箱を荷车についでぶどう畠に持って行く。
畠で轰沈する程食ひ、阿武くまの清流で泳ぐ、川の中にすわつて、ぶどうを食ふ。
ぶどうは一々种を出す中はまだ食ひ方が下方ださうだ。
夕方、はち蜜にしよう酒,ぶどう液を混ぜたものをまされて、而も三杯ものんだので轰沈した。
おひるはうどんの御驰走になり、夜は卵等出されて、三杯もご饭をくったが、ぐでんぐでんに醉ってひっくり返った。
少しくもどした。
铃木は一时间位も便所でしがんでへばって居た。
とうとう彼は归るを得ず。
三人で、相当蹴张ってふらふらの中に挨拶として、三人して、おぼろ月のほの明るい夜路を大河原さして九时近く、ぐでんぐでんの千鸟足で、それでも气はたしかで、加藤と“理想と现实”につき、大いに激论をたゝかはした。
おかげで二里の夜路も大した事はなかった。
途中にトンネルがあったときはフアイトがなかったがそれを一つこすと遥かに大河原の灯火が见えて猛然うれしかった。
途中近路して、畑の中をとほり、寮に十一时顷つき、ぐったりて轰沈した。
今日はこんにゃくの木を见、あわ、きび、もろこしを见た。
ぶどうは壮くわんだった。
09月3日(日)

各组皆约半数休假,另外下周起每两周休假一次。
①看来阴阴的,但七时半左右逐渐放晴。
加藤的亲戚后藤在东根村,所以想要过去。
八时半左右的艳丽朝阳之中,和铃木、天野、加藤等四人走上柏油路前往船冈。
途中据说会经过很大的乡下地方。
南瓜田、玉米田、茄子田、百日草田等一一映入眼帘。
在船冈吃冰淇淋,最后硬是在最后一刻挤上已经拥挤不堪的省营公车,在“峰岸”这个地方下车。
经过附近起伏的丘陵,一边说着这些没有被世俗化的田园真好,走上阿武隈川的河堤。
搭上渡船,再越过堤防后,映入眼帘的是狭小但整齐的田圃。
因水源不足所以果实并不算上乘。
国民学校后面的房子是二层楼的农家。
首先是亲切的叔叔,年轻的阿姨前来迎接我们,吃着许多大颗的葡萄。
过了一会儿上二楼,听唱片,又找出旧的《主妇之友》等杂志看。
睡了一下午觉起来大概是三时多,把装葡萄的盒子放在台车上推到葡萄架去。
在葡萄架猛吃吃到饱,然后在阿武隈川的清流中游泳,坐在河中间吃着葡萄。
听说把葡萄籽一一挑出来再吃是别脚的吃法。
傍晚喝着蜂蜜和烧酒,还加上一些葡萄汁,喝了三杯就睡沉了。
中午请我们吃乌龙面,晚餐有蛋等等,饭吃了三碗,但喝得醉醺醺,吐了一些出来。
铃木在厕所吐了快一小时,最终无法回去。
喝醉的三人很勉强地打起精神告别,三人在近九时时踏上朦胧月光照耀的夜路回大河原,虽然脚步蹒跚,但精神尚称清醒,与加藤就“理想与现实”激烈地辩论起来。
因此平安走完二里的夜路。
途中经过隧道时一度失去向前走的勇气,但看到远方大河原的灯火时又突然高兴起来。
途中抄小路穿过田中央,约十一时左右回到宿舍,累得马上就睡沉了。
今天看到蒟蒻树,还有小米、黍、玉米。
葡萄真是壮观。

【注】
【1】峰岸:位于宫城县南部的角田市。
【2】阿武くま川:阿武隈川,为东北地方的一级河川,全长两百九十三公里,流域面积五千四百平方公里。
发源于福岛县、栃木县境那须火山群的三本枪岳,流经阿武隈高地及奥羽山脉之间,穿过郡山盆地、福岛盆地往北奔流,于宫城県亘理町荒浜注入太平洋。
(ジャパンナレッジ(JapanKnowledge),《日本大百科全书》,阿武隈川,2017.11.16阅览,http://japanknowledge.com

年月日/1944/19440903/19440903-h-roc-s27-003-叶盛吉日记.txt · 最后更改: 2025/07/26 11:54 由 127.0.0.1