日本ニュース 第217号
1944年(昭和19年)7月27日
[1]小磯·米内協力内閣成立 05:41
07月18日、東条内閣は総辞職を決行。后継内閣組織の大命は(音声中断…)大将とともに組閣に着手。
<大将>
「組閣本部発表。07月20日、20時50分。本日、小磯陸軍大将と、米内海軍大将とに対し、協力して内閣を組織すべしとの大命、降下せり。」
現下、非常の時局に直面し、強力なる決戦閣僚の選考を終わった、小磯、米内両大将は、22日午后1時30分、うちそろって参内。
両大将は天皇陛下に拝謁(はいえつ)仰せつけられ、謹みて大命拝受の旨を奏上し、うやうやしく閣員名簿を奉呈。ついで同日午后2時30分、宮中において親任式を執り行わせられる。ここに有史以来の重大難局を担当すべき新内閣は成立したのであります。
親任式を終わって、各閣僚は首相官邸に参集。
小磯内閣総理大臣。米内海軍大臣。杉山陸軍大臣。重光外務大臣兼大東亜大臣。大達内務大臣。石渡大蔵大臣。松阪司法大臣。二宮文部大臣。廣瀬厚生大臣。前田運輸通信大臣。藤原軍需大臣。島田農商大臣。町田国務大臣。児玉国務大臣。緒方国務大臣兼情報局総裁の(音声中断)記者会見。
<小磯総理大臣>
「不肖、今回はからずも米内海軍大将とともに組閣の大命を拝しましたが、誠に恐懼(きょうく)感激の至りに堪えません。今や戦局は極めて重大であります。この未曽有の国難を突破するの道は、ただただ、国民が大和一致、敵米英の反抗を撃砕するに存します。政府は、内に政戦両略の緊密化を図り、いよいよ国政運営の諸方策を強化し、戦争完遂のための施策は余すところなくこれを実行して、断じて必勝を期し、ほかはあくまでも従来の外交方針を堅持し、大東亜共同宣言を徹底具現。聖戦を完遂してもって聖慮を安んじ奉らんことを期しております。国民各位は、政府の決意に信頼協力せられ、よく戦局の重大性を認識し、焦燥に陥らず、沈着冷静、各々そのことに処し、その持ち場において一瞬の油断することなく、あらゆる困苦を克服して、その全力を国家奉仕に貢献せられんことを切望してやみません。」
翌23日早朝、小磯新首相をはじめ、杉山陸相、米内大将、緒方国務相らは、相前后して明治神宮に参拝。神前にうやうやしく親任報告を行い、合わせて皇国必勝を祈願したのであります。
[2]緬印(ビルマ·インド)航空基地 02:58
戦いに明け、戦いに暮れる緬印最前線航空基地。わずかな戦闘の合間に、愛機の陰に取るささやかな食事。敵機跳梁(ちょうりょう)下、荒鷲の労苦こそ真に言語に絶するものがある。
出撃の命、ひとたび下れば、敵を求めて飛び立っていく。今や雨期たけなわの緬印の空に、彼我の激闘はますます激しさを加えている。すなわちビルマ所在の我が航空部隊は、さる7月07日、北ビルマのミートキーナ敵飛行場を急襲。P-40、23機。輸送機16機。計39機を撃破炎上する輝く大戦果を挙げたのであった。
一隊が飛び立てば、激闘終わった他の一隊が入れ替わるように入ってくる。
しかし大空の兵(つわもの)の顔は、あくまで明るい。
たった今戦った激しい戦闘の模様を、なんのわだかまりもなく淡々と語る荒鷲の姿。
今日(こんにち)、既に空の戦いにも雨期と乾期の区別はなくなった。執拗(しつよう)なる敵の反攻もまた、漸次熾烈となっていく。されば我が荒鷲たちは、寸刻の休みもなく、まさしく不眠不休の態勢の下、悪天候をついて、敵撃滅の鵬翼(ほうよく)を緬印上空狭しと張っているのだ。
