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吴新荣日记>19440602

昨日から街の第二助役谢麒麟氏と民心指导讲话会の指导员になった。
第一集会所と第二集会所とに分ち家长、主妇を别にして部落单位に集めた。
自分は久し振りの台湾语での讲演であるが、割合に自信を得ることが出来た。
昨晚、讲话会から归って来ると、南星が寿坤に扑られたと云ふことを知った。
こんな弱し[く]て无抵抗なものに暴力を加へることは已に间违ったことである。
殊に自分の不在中に亲味[身]のない子供を虐めることは、自分として堪え难いことである。
幸に重伤でもなかったが、例へ仕迂んでやるにしてもそんなに何回も扑ることはなかった。
几ら中学生气风でも、学校と家庭生活は区别せねばならない。
几ら杀伐的时代でも自分の侄をそんなに痛めさ【せ】るものでない。
それで寿坤を叫び出して、兄弟として最初の说教をしてやった。
寿山が死んだ时、我が两亲はどうして泣いたか、我が家风にそんな非爱情的なことがあったか、我が兄弟はこれから协力しなくてもいゝか。
こんな风に说教してやったら、さすがの彼も泪を流した。
今日、《民俗台湾》の池田敏雄君から原稿到着の礼状が来た。
“久し振りに玉稿いただき嬉しく存じます。
题目も私どもの希望致してゐるものに合致し、何よりだと存じます”と书き加へた。
これから时间があれば、吴尊贤君と共同で民俗采访に力を入へ[れ]ようかと思ふ。
晚、谢得宜君の时[家]で杂谈してゐたら、木山君と黄大友君が入って来た。
それで西美楼へ行って一杯饮んで来うと云ふので行ったら福地氏と广濑君に出会った。
そこで少らくしてから、富士阁へ揃って行ったら陈炳林君に出会った。
思はず奉公会关系の二流派が一绪になったので、酒色の间に议论に花を笑かした。
陈炳林君はとうとう何んと思ったのか、その家で又饮まうと云ふので、皆で行って夜明け顷まで饮み吞い[け]た。
昨天开始,我和街第二助役谢麒麟【1】氏,分别担任民心指导讲话会的指导员。
分为第一集会所和第二集会所,家长、主妇各自分开,以部落做单位而集合。
很久以来未做过台语演讲,这次讲得可说相当有自信。
昨晚,从讲话会回来,才知道南星挨寿坤殴打。
对弱小无抵抗力的小孩施暴,已是一个错误的行为。
尤其趁父亲不在,去欺负一个不是亲生骨肉的孩子,叫人难以忍受。
好在没有造成重伤,即使要教训小孩也不该一再地殴打。
任凭中学生是这样的风气【2】,但学校与家庭生活是不一样的,应分别清楚。
任凭杀伐时代,也不该对自己侄子如此伤害。
因此把寿坤叫来,做为兄弟第一次对他说教:寿山过世时,你可知我们双亲如何地哭泣?
我们家风,有如此无爱无情的事发生过吗?
我们兄弟此后不同心协力行吗?
我如此说教,他就掉泪了。
今天,《民俗台湾》的池田敏雄来信告知已收到原稿,并致谢意道:“难得地收到玉稿,不胜心喜。
题目正合我们的希望,无比欣谢。”今后若有时间,想和吴尊贤君共同努力于民俗采访。
晚上,在谢得宜君家杂谈时,木山君和黄大友君来到,于是到西美楼去喝一杯,却遇到了福地氏和广濑君,坐了一会儿,相偕赴富士阁,又遇到了陈炳林【3】君。
想不到奉公会相关的两派竟在一起喝酒,酒色之间,谈得有声有色。
不知陈炳林君做何想,邀大伙一起到他家去续摊,喝到快天亮。

【注】
【1】谢麒麟(1905-?
):台南市人。
曾任佳里街第二助役。
【2】指上级生教训下级生的风气。
【3】陈炳林:曾任阿公店支厅、台南厅巡查补。

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