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日本ニュース 第204号

1944年(昭和19年)4月27日

[1]大元帥陛下親臨陸軍士官学校卒業式 02:21

かしこくも大元帥陛下には、4月20日、神奈川県相模原町の陸軍士官学校に行幸。決戦の野に巣立つ、新卒業生と親しく御閲兵あそばされました。

午後1時20分、大元帥陛下には卒業証書授与式場に臨御あそばさる。栄えある卒業証書は牛島校長より、各中隊長に授与されました。

ついで、誉れの優等卒業生徒15名は、御前近く参進。侍従武官坪島少将より、恩賜の品を拝受いたしました。苛烈極むる決戦の戦列へ、今、相武台を出で立つ若き陸の精鋭は、ここに陛下の臨校を仰ぎ奉って、ただただ、一死もって君国に応えまつらんことを誓い奉ったのであります。

[2]台湾青年 高雄海兵団へ初入団 02:21

皇土防衛の栄えある戦列に加わることを得た、台湾初の海軍兵志願者、訓練所を巣立つ。帝国海軍の精神を体得せんものと、日夜精進の一年を送ってきた志願者一同は、3月31日、訓練修了式場において、福田(良三)高雄警備司令長官、本田(親民)高雄海兵団長臨場の下に、晴れの修了証書を授与されました。水兵服姿もりりしい、我が子、我が弟。修了証書に本島人父兄も喜びでいっぱい。早く立派な帝国軍人になって、第一線でご奉公してくれと激励する。翌4月1日、志願者は直ちに宿望の高雄海兵団に入団。4月2日、晴れの入団式場において、二等水兵を命ぜられ、高雄警備司令長官より、懇篤なる訓辞を受けました。

<警備司令長官:

諸氏は昨日をもって当海兵団に入団し、光輝ある帝国海軍の一員となったのである。本島における第1回の志願兵として、諸氏の責務は極めて重大である。よく軍人に賜(たま)わりたる御勅諭を奉体(ほうたい)し、忠君愛国、米英撃滅を瞬時も忘れず、立派なる一人前の軍人たらんことを切望してやまん。終わり。>

[3]海軍予備学生の飛行訓練 02:13

ペンを捨て、学窓より決然立ってここに半歳。海の学鷲はその技術の進歩もめざましく、このようにたくましく成長した。

<上官:

本日の飛行訓練を始める。編隊飛行並びに特殊飛行同乗。操作は思い切りよく、パッとやる。離着陸の単独は始めて間もないから、十分慎重にやるように。今までいろいろ受けた注意の1つ1つをよく守って、最小の飛行時数で、最大の訓練効果を挙げるように、最大の努力を払って飛行作業に従事せよ。注意、終わり。>

単独飛行、編隊飛行に進めば、今は敵機にまみえる日も間近。かくて大空に鍛える海軍予備学生、月月火水木金金の猛訓練は続く。

[4]タイ空軍 「隼」戦闘機で訓練 01:54

尾翼に描く白象の旗印。タイ国に来襲する敵機を迎え撃ち、我等(われら)の空は我等で守ろう。我が国と手を組んで、大東亜戦争をともに戦うタイ国の空軍将士は、皇軍勇士の指導の下に、隼(はやぶさ)戦闘機と特訓で、鋭意、飛行技術の向上に努める。

敵機よ、来たらば来たれ。熱烈な訓練相次ぐうちに、タイ国防衛の陣営は着々固められていく。

[5]自由を我らに インド国民軍婦人部隊の猛訓練 02:12

祖国の解放へ、女子も銃を取って立て。ボース首班の声に応えて、昨年10月結成を見たインド国民軍婦人部隊。ジャンシー女王連隊は、女性とはいえ、前線に参加できる日に備えて、男子に劣らぬ激しい訓練を重ねる。

自由か、死か。自由インド婦人軍は、大東亜全女性の輿望(よぼう)と激励に応えつつ、堂々の歩武(ほぶ)を進める。

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