年月日:1944:19440406:19440406-h-roc-s27-006-吴新荣日记
吴新荣日记>19440406
昨日から天气がよくなり、而も夜になると月はさへていた。
空袭にはもって来いであるが、推进にももって来い日である。
晚には内山矩留农校々长と新宅へ行って奉壮团员として推进して来た。
佳里街としては民度の低い所であるが、吾等の切实な说明で大部理解して下れてゐるらしい。
夕方、第二保の或る贫家へ行って往诊してきた。
八十二岁の独身婆であるが、非常な香炉があったので买って归って来た。
恐らくは自分の持っている古陶の内で最とも逸品であらう。
昨天起天气已好转,而且晚上月光明亮,这是很适合空袭的天气,对于政策推广宣传,也是好天气,晚上和内山矩留【1】农校校长到新宅【2】进行奉壮团员的宣导任务。
此地在佳里街算是民智较低的地方,吾等做切实的说明之后,大部份有了理解。
黄昏到第二保的某个贫困家庭去往诊。
八十二岁的独居老阿婆,却有一个珍奇的香炉,就向她购买带回家。
这可能是我目前拥有的古陶之中的最佳逸品。
【注】
【1】内山矩留(1893-?
):日本鹿儿岛县人。
国语学校师范部毕业。
曾任内埔公学校教谕、北港公学校校长。
1936年任佳里公学校校长,并兼任北门国民农业学校校长,此校于1941年改名为北门专修农业学校,时专任校长至终战。
【2】新宅:地名。
乾隆中叶,黄元祥受雇于菜寮北边替富人看田,而在此落户新垦宅园,故名。
今属佳里镇民安里。
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