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日本ニュース 第197号

1944年(昭和19年)03月07日

[1]滅敵の陣固し 00:42

ギルバート、マーシャルへ上陸。あるいはトラック島、マリアナ島へ来襲せるは、ニミッツの率いるアメリカ艦隊、ビスマルク、ニューギニアに侵攻を企てるマッカーサー軍。あるいはビルマ奪還を呼号するマウントバッテン麾下(きか)の米英諸連合軍。この敵の反攻を迎えて、隠忍、戦局転換の機を窺(うかが)う第一線将兵の意気高し。

[2]南洋群島の海軍守備隊 01:39

赤道近く、広大な西太平洋に散在する我が南洋群島。その絶海の1つ1つが、南の資源を守り、尊い本土を守る固い砦(とりで)である。短期決戦を焦るアメリカが、ほとんどその全艦隊を挙げてギルバートに取りついてから、この小さな島々の守りの責任はいよいよ重大なものとなってきた。不自由な資材、数少ない飛行機。そうしたものの不足に意も触れず、勇士たちはあらゆる困難をおかして鉄壁の備えを固めている。

クェゼリン·ルオットにおける戦友の華々しい戦闘の便りもはるかに聞いた。心の底からこみあげる憤りをぐっと抑えて、勇士たちは待っている。不遜(ふそん)なアメリカ艦隊撃滅の日を。

[3]ニューギニアの密林と戦う陸軍部隊 01:51

ニューギニアのジャングルに、マッカーサー軍と対峙(たいじ)して早くも2年。圧倒的な敵の飛行機と砲弾にさらされて、我が陸の将兵は少しもたじろがず、行動の自由を奪う密林をかいくぐって、敵の大群に奇襲を掛ける。

膨大な鉄量にジャングルの形もあらたまる。困苦欠乏にいよいよ勇気百倍するは、日露の戦いより着々と培われた陸軍の真面目(しんめんぼく)である。

[4]ビルマ前線の陸軍部隊 01:32

ビルマとインドを隔てるアラカンの山々。

その山麓(さんろく)にアラカンの悲劇と呼ばれる英印軍殲滅(せんめつ)戦が行われたのは、昨年の春。この国境へ、今また軍旗は進む。再び繰り返すビルマの奪還。支那(シナ)大陸への侵攻を図り、日本本土を襲わんとする米英の画策。衆望を担って登場せるマウントバッテン軍、ようやく動く。その気配を察知せる皇軍は、出鼻(ではな)をたたいて2月04日、英印軍第7師団邀撃(ようげき)の火蓋(ひぶた)を切った。軍旗を先頭に緬印国境へ。遺棄死体7000を数えた大殲滅戦は、我が方の輝かしき勝利に終わったのである。

[5]アンダマン列島に航空基地建設 03:33

水平線の彼方遠く、はるかにインドを望むアンダマン列島。敵前上陸作戦の権威と自称するマウントバッテンの東南アジア軍司令官就任。あるいは地中海よりイギリス艦隊の回航とともに、ビルマ、マライの第一線防備陣であるこの島の備えは、いよいよ固められた。

インド洋を制圧する飛行場も、インド人や原住民の協力によって急速に建設された。新しいインド建設のあかつきには、この島も我等(われら)の手に渡されるのだ。敵を目の前に控えて、インド人たちの手には、一層力がこもった。

原住民たちも慣れない手つきで一生懸命働いた。

労力不足には象部隊が一役買って出た。その大きな力もあずかって、工事は着々進められた。土木機械も縦横に駆使された。

立派な飛行場ができあがった。設営隊の歓呼のうちに、敵撃滅の翼を張って、飛行機が飛び立っていった。西の守りの強力な一環。敵反攻撃砕の陣は一層固きを加えた。

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