日本ニュース 第193号
1944年(昭和19年)2月9日
[1]旭川師団の冬季連合演習 03:13
不敵にも、我が領土南端に迫り来たった敵は、さらにまた神州北端を窺(うかが)わんと虎視眈々(たんたん)たるものがあり。忍びがたきを忍び、黙々として北辺の守りを固める旭川師団の精鋭は、極寒と積雪をついて、このほど冬季連合演習を行いました。白一色に覆われた延々130キロにあまる雪の進軍。近代的装備を施した北の精鋭は、山また山を乗り越えて、豪壮な雪中演習を展開。北鎮部隊の軒昂(けんこう)たる意気を示しました。
雪はいよいよ深く、馬もかんじきをつけての猛進撃。戦車も自動車も通わぬ雪の山道、将兵不屈の闘魂は見事大部隊の行軍に成功しました。
あらゆる辛苦に打ち克(か)ち、かく豪なる将兵ありてこそ、我が北辺の守り、いよいよ厳たるものがあります。
[2]海軍予備学生の訓練 01:37
ああ、我等(われら)この軍艦旗の下に死なん。
海の精鋭の練磨も、また火のように激しい。昨年の秋、海軍予備学生として学窓より出陣した若人らのたくましき成長を見よ。南に北に、うち続く課題の苛烈(かれつ)さ。この厳粛なる事実を知ればこそ、これら若人は抑えがたき尽忠の熱情に決然、立ち上がったのだ。戦局いよいよ激化の度を加え、今また夷狄(いてき)、マーシャルに迫る。されど焦るにはあらず。深き憤りを胸に、黙々、ただ黙々と予備学生は最後の勝利に向かって鍛えている。
[3]ムッソリーニ統帥救出 04:21
昨年7月、ムッソリーニ首相、バドリオの陰謀により桂冠(けいかん)。バドリオ政権は9月8日米英に降伏。兼ねて監禁中のムッソリーニ前首相を米英の手に引き渡さんとせり。ムッリーニ氏に危機迫る。時に、ヒットラー総統の厚き友情と信義は、電光石火ムッソリーニ統帥救援の手を差し伸べ、同12日、見事敵中に統帥を救出。世界を驚倒。米英をして呆然(ぼうぜん)たらしむ。
イタリー中部アペニンの山腹に、突如降下せるドイツ落下傘部隊。時に昭和18年9月12日の朝まだき。目指すはグラン·サッソーの砦(とりで)。
ここにファシストイタリーの偉大なる指導者、ムッソリーニ統帥が捕らえられている。ヒットラー総統の厳命を受けたドイツ親衛隊は、山荘を包囲し、厳重なる禁固のうちからムッソリーニ統帥の解放に成功しました。さすが剛勇なる統帥の顔にも、憔悴(しょうすい)の影深く、50日にわたる幽閉の苦悩を物語っています。
周到に用意された軽飛行機は、総帥を乗せて翼も軽く、北イタリーの安全地へと飛び立ったのであります。
翌13日、ムッソリーニ統帥は、ヒットラー総統を大本営に訪問。その大いなる友情と信義に心から感謝したのであります。飛行場まで出迎えたヒットラー総統。再び自由を獲得したムッソリーニ統帥。世紀の両巨頭、ここに相対す。けだし、感慨無量なるものがあったでありましょう。ムッソリーニ統帥の令息、ビットリオ氏。
統帥は総統大本営において、リッペントロップ外相、ゲーリング元帥など、ドイツ首脳と久々の会見を遂げました。
このドイツの、いつもながらの胸のすくような行動は、バドリオによって負わされた屈辱に泣くイタリー国民を奮起せしめ、祖国再建の大業に向かって、雄々しく立ち上がる勇気を与えたのであります。巨人、再び立つ。あくまでも変わらざる枢軸との盟約を守り、道義世界の建設へ、ムッソリーニ統帥は勇躍、新イタリーの陣頭に立つべく、祖国へ向かったのであります。
