日本ニュース 第192号
1944年(昭和19年)2月2日
[1]ラバウル 米機来襲と戦う基地 10:04
アリューシャン、支那(シナ)大陸、ビルマ、ニューギニア、ビスマルク、そしてギルバート諸島から、敵は我が本土を窺(うかが)っている。我が本土空襲を策している。しかし、敵が自らも認めるごとく、東京はあまりにも遠く離れている。緒戦において戦略的優位を失った敵は、遮二無二(しゃにむに)物量にものを言わす、飛石づたいの作戦を取った。その作戦の要に位する地点、すなわちラバウル。
赤道を越えた西南太平洋の1つの島。ニューブリテン島、ラバウルに、きょうも快晴の朝が訪れた。海の波、山の林が真上から照りつける太陽に美しくきらめく、静かな朝である。しかしこの静かな朝の大気のうちに、小やみなく哨戒を続ける友軍機の爆音が、ひとときたりともゆるがせにできぬラバウルの激しい緊張を物語っている。敵は昨年12月、マーカス岬についでグロッサー岬に上陸を行い、空から、地上から、ラバウル攻略に全力を挙げている。まさにラバウルは敵南洋から我が本土を守る最大の防塞である。その戦略的要点を守らんがために、我が勇士たちは自給自足の態勢を整えた。自給自足と一口に言う。しかし忘れてはならぬ。ここは最も激しい決戦の場である。今見る自給自足の態勢こそは、夜となく、昼とない敵機の空襲下勇士たちの忍苦に満ちた日常の一端であり、すべての補給はあげて敵撃滅の弾丸たらしめんとする、すさまじい覚悟である。しかもこの苛烈(かれつ)な航空決戦場に、我が荒鷲たちのなんの屈託もない顔を見よ。空ゆかば雲染むかばね。ただひたすらに敵機撃墜の念願のみ。
敵の空襲、熾烈(しれつ)の度を加えれば、我が出動回数もまた加わった。整備にいそしむ地上勤務員の労苦たるや、言葉に尽くしがたいものがある。さればラバウルの勇士たちに捧げよう。尽忠赤誠のただ一語。繰り返して忘るるなかれと言う。ここは航空決戦の場だ。夜ごと日ごと、我に数倍する敵を迎え撃って、海の荒鷲はいかに奮戦しているか。
本年初頭以来、敵空軍はほとんど連日来襲。落とされても、落とされても、その数を増してきた。1月中の来襲敵機、約2500。我等(われら)、そのおよそ3割を撃墜。敵の乗員喪失は一千名を突破した。敵も必死だ。来襲は続く。
(無線通信士の会話)
来たらば来たれ、撃滅の好機。即座に我が戦闘機は舞い上がった。
友軍戦闘機に呼応して、高射砲陣地もまた邀撃(ようげき)態勢全し。敵は絶望的な損害を喫するであろう。
敵空軍はひたすらに量を頼む。爆弾の雨をもって我が船舶を襲い、補給線の一環を崩さんとする。されば我が船舶は巧妙な退避運動を開始。準備は成った。
敵機
巨大なるコンソリデーテッドB-24の編隊。後部機銃の一斉射撃により我が戦闘機の邀撃を逃れんとす。
敵機、かろうじて上空に侵入。得意の盲爆を開始した。
B-24、早くも遁走に移る。
爆撃機護衛の敵戦闘機との間に、彼我入り乱れての壮烈なる空中戦。
ロッキードP-38。
命中、見事命中。落ちよ、海底深く沈め、敵機。
1機、また1機。ラバウルの空に敵の野望は微塵(みじん)に砕け去る。
凱歌(がいか)を上げて荒鷲は帰る。前線の戦果に銃後よ、応えよ。1機でも多く、一刻も早く。
