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叶盛吉日记>19431020

✓时计受け取り。
以下是同01日的另一篇日记
10月20日(水)
快晴。
昨朝より寒かった。
8时~11时近くで各个战斗[斗]教练。
攻击前进、(ほふく前进)突击、陵[棱]线确保、等で皆相当疲れたらしい。
龟井少尉。
进出の际は同じところから出ないこと。
例、ひばり。
次いで国分大尉。
火点攻击に际しては唯前面からのみ攻击せずに若干名を侧方から潜行せしめて手弹を投掷せしめ瞬时を逸せずして突入するやり方。
特に……前30米にぐづぐづして居ると敌の火器に压せられるから30……内に近迫すること。
例、支那事变、南方战线。
11时归营。
……征兵检查で归寮せしもの若干あり。
归营に际し、战胜……を军歌のやうに歌ふ。
食后ねむたくてたうとう横になる。
13时より午后……演习。
分队战斗[斗]教练。
遥か富士に似た山のぞまれる陵[棱]线ま……く。
崖けになって下に广く田圃が扩って居て、一天昙って吹き来る西北の风は松籁をもよほす。
敕谕の忠节、礼仪の项奉读して、16时归营。
夕食后宛、【1】中目等と满洲の事共に就き驮辩る。
营舍の电灯暗く皆ごろごろして居る。
高校の宿营教练、中学校に比するとうんと乐で暇な时间が多い。
食事は适度と腹を满たすに足りる。
并し、暇な时は实にねむたい。
风ひゅうひゅう云って今にも雨が降りさうで降らない。
ぞくぞく寒气がして来る。
それで我々の今度の宿舍营はよほどめぐまれて居る。
夜中を除いてはさほど寒くなかった。
(シャツ一枚で)
18时夜间演习に出る。
先づ我々が夏の合宿でおなじみの一本ポプラのところに行く。
それより五、六组は渡边【2】先生引率でずっと部队の前进停止をして行く。
途中左に曲り更に右に曲り、左に曲り、左に曲りで三百米位行ったところで停止。
あたりは凄惨に暗かった。
一本ポプラのあたりと目印をつけて居た灯火も几度か陵[棱]线をこえて居る中にすっかり见えなくなった。
夜には星なく、只中新田【3】の方の灯火がやゝ明るく、仙台方面の灯火がほの明く见えるのが唯一の手悬りであった。
渡边中尉より中新田と仙台の大体中间を行けばよいと指示され、数名づゝさっきのポプラの树のところに向って出发す。
相当あとの方から出发したが前を行く人の足音やら话声やらが听えてまどはされて屡々进路を变へた。
川に落ちこんだり、穴に落ち迂んだりする者も居たらしくあっちこっち、姿は全く见えないがガヤガヤ物音がする。
幸ひにも沟にもどっぺらず【4】にすんだが出发に际し仙台市と思ったのは实は兵舍よりの明りで仙台市の明りは实はそれよりずっと右の方であった。
灯火をたよりにとうとう兵舍の近くまで来てしまった。
仲々ポプラの树が见つからないものだなあと话ながら三分队が一ヶ分队位行ったり来たりした。
岩谷【5】其の他数名はとうとう坐りこんでコンパを始め……コゝダゾー、ポプラの树は腹がへったから食っちまったよと云った……た。
夜气がぞくぞくと身にしみる。
ポプラの树はすかしとも见当……その中怀中电灯の点灭する方に行くとそれがポプラの树だった。
……百米位しか离れて居ないのにさっぱり气がつかなかった。
大体そこで集……だ未だ归らぬ者が居た。
大声で呼んだりした。
その中に明善寮寮歌……正调で三十分位やった。
それで五、六组の齐藤、管[菅]原【6】は未だ……なかった。
大声で呼んだり、咆喉したりしたが反应がなかったので……每にさう查に出た。
一方ポプラの树のそばでは火をたいたり等した。
しばらくして见つかったの报があったので归营する。
寒い。
21时半。
点呼就床。
夜中より雨、少し寒い。
✓拿手表。
以下是同01日的另一篇日记
10月20日(三)
晴朗。
比昨天早上冷。
八时至将近十一时为单兵战斗教练。
攻击前进、(匍匐前进)突击、确保棱线等,看来大家都很累。
龟井少尉。
进出时不要从同一地离开。
例如云雀。
接下来是国分上尉。
火点攻击时不要只攻击前方,要有几个人从侧边潜行投掷手榴弹,然后马上攻入。
尤其是……前三十米若有迟疑就会被敌方火力压制,所以一定要逼近到三十米以内。
例如七七事变、南方战线。
十一时归营。
……有几个人因征兵检查先回宿舍。
归营时、将“战胜”……唱得像军歌。
午餐后很想睡就躺下去睡了。
一时开始下午……演习。
分队战斗教练。
远方可见有如富士山的棱线。
崖下是广阔的田园、多云天空吹来的西北风吹起了松籁。
敕谕忠节,宣读礼仪事项、四时归营。
晚餐后与宛、中目等人间聊关于满洲的事。
营舍电灯太暗,大家在床上滚来滚去。
高校宿营军训教练、比中学轻松,闲暇时间又多。
伙食也算吃得饱。
但空闲时真的很想睡。
风呼呼地吹,现在看似要下雨又不下。
觉得越来越冷。
我们这次的宿营军训教练真的过得很好。
除了深夜并不是太冷。
(若只穿一件衬衫)
六时夜间演习。
先到我们夏季合宿集训时所熟悉的那棵白杨树下。
然后第五、六组由渡边老师带领,一直练习部队的前进停止。
途中左转、右转、左转,再左转约走三百米后停止。
附近暗无天日。
以一棵白杨树为目标,只有几点灯火,好几次看棱线,却完全看不见。
夜里没有星光,只有中新田那边有微微的灯火。
依稀可见仙台方面的灯火是唯一的指标。
渡边中尉指示可以大概走到中新田与仙台中间,几个人就向着刚才的白杨树处出发。
比较后面的人出发了,但听到前面人的脚步声或话声而迷惘,数度改变路线。
四处可见有人掉到洞里、掉到河里,看不见影子,却有沙沙声。
幸好没有掉落水沟。
出发时以为仙台市的灯光其实是兵舍的,而真正仙台市的灯光其实是在兵舍右方很远之处。
靠着灯火接近了兵舍。
一直找不到白杨树。
然后三分队一整个分队一边说话一边走来走去。
岩谷等几个人终于坐下来开始聊天聚会……在这里喔!
想说到了白杨树,大家肚子饿了,所以就要开始吃东西。
夜幕逐渐笼罩在我们身上。
大家还在寻找白杨树……有手电筒闪烁的地方就是白杨树。
……只离一百米左右,我们却都没发现。
大家在那里集合,但还有人没回来。
我们就大声呼喊。
其中唱了明善舍舍歌……以正调唱了三十分钟左右。
但五、六组的齐藤、菅原还没回来。
我们大声呼叫、咆哮,却仍无反应……只好出去搜索。
同时在白杨树旁生火。
过了一会儿听说找到人了,于是归营。
好冷。
九时半。
晚点名就寝。
晚上开始下雨,有点冷。

【注】
【1】宛:宛吉斌,满洲国奉天省人,记主第二高等学校的同班同学。
(〈生徒名簿
昭和十九年04月〉,东北大学史料馆典藏)
【2】渡边:渡边源左卫门,陆军中尉,时任第二高等学校讲师。
(文部大臣官房秘书课编,《文部省职员录
昭和十八年11月01日现在》,东京:该课,1944,页759)
【3】中新田:位于宫城县西北部,今属于加美郡加美町东北地区。
明治以来成为郡政中心,铁路对外交通完备后,成为周边农村的商业与交通中心。
(日本大百科全书(ニッポニカ),JapanKnowledge:东京高等商船,2017.10.14阅览,http://japanknowledge.com.er.lib.ncku.edu.tw
【4】どっぺる:往年学生用语,源自德语doppelt(两倍的)转成‘当掉’或‘掉落’之意。
本文所说“沟にもどっぺらずに”就是‘没有掉落水沟’之意。
(ジャパンナレッジ(JapanKnowledge),《デジタル大辞泉》,どっぺる,2017.10.10阅览,http://japanknowledge.com
【5】岩谷:应为岩谷英司,日本福岛县人,记主第二高等学校的同学。
(仓田潮编,《二高名簿
昭和三十一年度版》,页273)
【6】菅原:可能是菅原庸雄,日本北海道人,记主第二高等学校的同学。
(仓田潮编,《二高名簿
昭和三十一年度版》,页274)

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