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日本ニュース 第153号

1943年(昭和18年)5月11日

[1]満洲国皇帝陛下 水豊ダム御視察 01:55

満洲国皇帝陛下にはこの度、安東地方巡視の御機会をもって、我が朝鮮平安北道の地に御臨。05月05日鴨緑江水豊発電所にならせられ、決戦下、鮮満工業の原動力たる水力発電の実況をつぶさに御視察あらせられました。

日満一体の契り、いよいよ固きを加うるのとき、皇帝陛下このたびの御臨はひとしお意義深きものがあるのであります。

この光栄に輝く、水豊ダムはその工を興してより、既に6年。従業のべ人員3千万、総工費は実に2億4千万円におよぶと言われています。貯水池は琵琶湖の約半分、霞ヶ浦の2倍にあたる水を満々とたたえ、鴨緑江の流れをせき止めて立つその威容は、本年完成の暁は敵米国が誇るボルダーダムもその容量において、はるかにおよばず。近代科学の戦いにおいても、堂々敵国を圧して世界に冠たる技術日本の貫禄を示すに、けだし、十分なものがあるでありましょう。

[2]東条首相比島訪問 02:39

東條首相兼陸相は比島の軍状、およびいよいよ建設的段階に入った軍政状況を視察し、合わせてバルガス行政長官ら比島要人と隔意なき懇談を遂げるため、5月05日マニラを訪問しました。首相はフィリピンの正装で出迎えたバルガス長官以下と固き握手を交わしました。

今回、首相のマニラ訪問は、南方占領地初の訪問として未曽有の壮挙というべく、先の中国および満洲国の訪問とともに大東亜戦争の必勝体制の強化に寄与するところ、多大なものがあります。

翌5月06日、この日あたかもコレヒドール陥落1周年にあたり、首相はルネタ公園に開催された皇軍感謝民衆大会に臨席しました。

バルガス長官は1800万の比島民衆を代表して、感謝の辞を述ぶ。続いて首相は、親しく30万観衆を前に、烈々たる激励の演説を行いました。

<東條首相>

「比島民衆奮起の時機は、今やまさに到来をしたのであります。今日諸君はあやまれる米国主義を速やかに一掃して、民族興隆の泉源である剛健進取の気風を養い、大東亜民族の真の姿に立ち返られんとしておるのであります。」

(皇軍感謝民衆大会の様子)

[3]冀西作戦 01:52

山西河南の省境、大行山脈に盤踞(ばんきょ)する蒋介石系、第24集団軍撃滅の大包囲作戦は4月20日、その第1次包囲網を完成。我が現地軍は空陸相呼応し、四方より一斉に進発。8万2千の敵兵に殲滅(せんめつ)的打撃を与えた。

山西特有の峨々(がが)たる峻険(しゅんけん)、道なき道を切り開き、皇軍は大敵を追って鉄の包囲をいよいよ縮める。

(攻撃の様子)

かくて、華北に残存する、唯一の重慶軍殲滅(せんめつ)戦は見事に成功。新編第五軍長孫殿英、以下7600に上る捕虜の増加は、重慶抗勢力の低下を如実に示すものであります。

[4]ミルン湾爆撃 02:13

我が航空撃滅戦の凱歌(がいか)、次々に挙がる南太平洋戦線。04月14日、我が海鷲はニューギニア島ミルン湾およびラビを急襲。敵輸送船11隻を撃沈。敵機50機以上を撃墜破。今や、敵米英の反抗の拠点は我が無敵荒鷲部隊の制圧下にあり。

乗員の面には見敵必殺の決意あふれ、高度をとって長駆南海の空をつく。

敵陣間近し。敵陣間近し。眼下に逃げ惑う敵輸送船団。

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