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日本ニュース 第134号

1942年(昭和17年)12月28日

[1]神国日本 聖上神宮御親拝 02:22

<字幕テロップ>

「征戦第二年 畏くも 天皇陛下には、はるばる伊勢路に龍駕を進めさせ給い、親しく皇祖の御神霊に皇軍の赫々(かくかく)たる戦果を御奉告、御躬ら民一億を率い給い、曠古(こうこ)の時艱(じかん)を克服、聖業達成を御祈念あらせらる」

皇紀2602年12月12日、この日御親拝に先立つ午前9時45分、陛下御献進の幣帛を納めた空櫃に従わせられ、梨本祭祀宮殿下をはじめ奉り、内宮司以下は外宮豊受大神宮に参進。

ついで午前10時35分、田中、ひがき両禰宜、近衛将校二員御先行もうしあぐるなかを、天皇陛下には特別御列にて外宮行在所を発御。御下乗所より、御徒歩の御列にて豊受大神宮に御親拝。うやうやしく御告文を奏させたまい、御拝礼あらせられました。

午後1時6分、天皇陛下には行在所発御、内宮に向かわせらる。御陵車は粛々と進み、水清き五十鈴川にかかる宇治橋を渡御あらせられ、御下乗所より、御徒歩の御列にて皇大神宮に御親拝。御告文を奏せられた御後、御拝礼。大前より御退儀(たいぎ)あらせらる。

まこと肇国(ちょうこく)のはじめより、いまだ聖旨拝せざる御事にして、大東亜戦争下、一億民草挙げて聖慮のほどに、ただただ恐懼(きょうく)感激あるのみであります。

[2]勅題農村新年 02:59

国を挙げて米英打倒の意気に燃えるとき、農村から戦場へ、軍需工場へ、今年もまた新たな若者が蹶然(けつぜん)起って行くことであろう。そしてまさに今、けなげにも戦いの庭に召されて行った。

だが、戦争下、食料の確保、増産は一刻もゆるがせにすることはできない。銃後農村を預かる我々はがっちり組んで、去年よりも今年はもっと多くの米を、麦を作ろう。新たなる年を迎えて皇国農民の決意は固い。

[3]明朗ジャワ共栄圏の譜 02:08

(「荒城の月」を歌う日本語学校の女学生たち)

「春高楼(こうろう)の 花の宴(えん)

巡る盃(さかづき) 影さして

千代の松が枝(え) 分け出でし

昔の光 今いずこ

秋陣営の霜の色

鳴きゆく雁(かり)の数見せて

植うる剣(つるぎ)に照り沿いし

昔の光 今いずこ」

[4]寺内総司令官ビルマ視察<前線迎春> 01:39

南方方面陸軍最高指揮官寺内大将は、陽光燦(さん)たるビルマの戦跡に立ち、かくも遥けき地に打ち立てた部下、将兵の勲しを偲ぶ。

温かい皇軍の情けに、イギリスの手から解放された、春立ち返るビルマの歓喜は野に山に満ちあふれています。

首都ラングーンに立ち寄った寺内将軍はビルマ行政府長官バーモ博士を引見、打ち連れて郊外のシェ·ダゴン·パゴダにお参りしました。

ビルマへの大きな愛護と日本への尽きぬ信頼をこめて将軍と博士は、新アジア建設の前途を語り合いました。

[5]儼たり北洋の海鷲<前線迎春> 01:10

北洋は今、極寒のさなかにある。アメリカが対日総反攻を呼号する昭和18年。この年、ここ朔北の海洋に堂々哨戒、索敵の任に就く海の荒鷲を見よ。

征戦第二年、南に北に大東亜の大空翔けて、米英撃滅の布陣、厳として揺るがず。

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