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吴新荣日记>19421212

林氏娇との缘谈进行さる

昨晚、甘氏惜娇さんと话をした结果、次の样な段取りを取ることになった。
即ち明日、大东亚文艺讲演会に出席する序でに黄百禄、黄奇珍两君の意见を求めて见る。
彼等が赞成であったら、彼ら二人を[に]赖んで两亲の承诺を求める。
我が两亲が承诺すれば、やはり彼等を烦って林家の当主に直接谈判する。
订婚は本年末でもいゝが、结婚は故人の一周忌の后にしたい。
尚、式は极く简单にする为め招待する人员は左の如く局限したい。
当日は、
黄百禄君、
黄奇珍君
徐清吉君、
谢得宜君
甘红党夫人、
黄樱田夫人
吴丙丁叔、
郭水潭君
后日は、
北门郡守、
庶务课长
佳里街长、
小学校长
信用组合长、
(医师团长)
等を招待してもいゝ。
尚、自分は急にこんな气になったことに就いて、少し书かねばならない。
第一に、彼女──林氏娇と云ふ──は子供达を爱してゐる。
幼稚园の教师とは云へ、子供を取り扱う天才を持ってゐる。
第二に、彼女は尚若いにも拘らず、周围の劝めに敢然と应じたことである。
基督教的教育を受け、佛教的职场に奉仕してゐるとは云へ、その牺牲を觉悟する精神は余りに纯粹である。
第三に、彼女の母はやはり继母として迎へられ、只彼女を[が]生まれたと云ふことである。
何だか新编“母子草”が生まれさうな气がする。
彼女は妹雪金の二年上の同窗であったから、佳里に来てから互いに亲んでいた。
何时か雪金が南星と朱里とを连れて台南へ行き、彼女の【家】に泊ったことがある。
その时、朱里は南星に“兄ちゃん、大きくなって台南に来て勉强する时は、何处に泊るの?”ときいたら、南星は“先生(彼女のこと)の所に泊るよ”と无心に答へた。
又朱里はある时、彼女との问答に“先生、私のお母さんになってよ”“なれないわ”“百圆で买って上げるよ”と无邪气な表现をした。
又南河はある时、“先生、私はとっても先生を[が]好きだが、先生は私を好かない?”“南河ちゃんは行仪が恶いからいやよ”と答へたら、南河は起立の姿势で、“先生、私はこんなに行仪がいゝのよ”“よしよし、南河ちゃんはいゝ子だよ”等々と度々きかされた。
和林氏娇【1】的亲事进行中

昨晚和甘惜娇女士谈话结果,决定采取如下步骤进行。
明日参加大东亚文艺演讲会后,去听听黄百禄、黄奇珍两位的意见,如果他们赞成,就请他俩去征求双亲的同意。
如果我双亲同意,就请他俩直接向林家提亲。
年末可以订婚,结婚则需在故人一周年忌后较妥。
婚礼要简单,邀请宾客限于下列友人:
当天:
黄百禄君、
黄奇珍君
徐清吉君、
谢得宜君
甘红党夫人、
黄樱田夫人
吴丙丁叔、
郭水潭君
日后:
北门郡守、
庶务课长
佳里街长、
小学校长
信用组合长、
(医师团长)
说到我忽然想这么做,非稍作记录不行。
第一,她──叫林氏娇,爱小孩,担任幼稚园教师,擅长对待小孩。
第二,她年轻,却勇于对付周遭的劝告;
受基督教的教育,在佛教的机构工作,其牺牲精神至为纯洁。
第三,她的母亲也是继母,只生下她一个,觉得像新编〈母子草〉故事即将诞生。
她是比雪金妹高两年的同窗,到佳里工作后,和雪金经常交往,某次雪金带南星和朱里到台南玩,住在她家。
那时,朱里问南星:“哥哥将来到台南读书,要住哪里?”南星天真地回答:“住在老师家啊!”又有一次朱里问她:“老师,你来当我妈妈,好不好?”“不行啊。”“我用一百圆把你买回来。”提出类似这样天真无邪的问题。
南河有时也会问道:“我很喜欢老师,老师喜不喜欢我?”“阿河规矩不好,不喜欢。”她这样回答;
南河马上立正站好,说:“老师,你看我很规矩!”“好好,南河是乖孩子。”经常可听到这类的对话。

【注】
【1】林氏娇:当指继室林荣梁。
12月4日记“林氏菊”,12月12日记“林氏娇”,其实皆同人。
或为俗名,或为别名,待考。

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