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吴新荣日记>19421211

昨日台湾文艺家协会から来る13日、台南に于いて大东亚文学者会议に出席した台湾代表が讲演会を开くことを通知して来た。
それで国分直一、苏新、郭水潭、黄平坚诸君に出席の通知や座谈会开催の手配を依赖した所、今日早くも国分、苏新两君から返事が来た。
国分氏は世话役を引き受けて下れたし、苏君は是非张文环君を绍介して下れと热心に书いて来たから、自分も理事としての务を果せるわけだ。
朝が[は]细雨が滴々と降って来るし、それに冷气が加はるるので何だか淋しくて仕样がない。
それで晚食后、子供を集めて山房でレコードをかけて见たが、昔の曲は只怀しみと思ひ出を呼び起すばかりだ。
この灭入るような气持でも转换しようと思って、徐清吉を呼んで棋をやらうと思へば、下营へ归った云ふ。
それで谢得宜君を呼んで语らうと思へば、やはり学甲へ归ったと云ふから、甘惜娇さんを呼んで来て例の事をきくことにした。
子供の教育の为めに、又妹の将来の为めに、自分は早く自分のこの缘谈をまとめようと决心するに至ったからだ。
收到了台湾文艺家协会通知,后天13日,将在台南举行出席大东亚文学者会议【1】的台湾代表的演讲会。
因此请国分直一、苏新、郭水潭、黄平坚几位,委托他们发开会通知和筹备座谈会事宜。
今天收到国分氏和苏新两位的回信,国分氏接受担任发起人,苏君甚为热心,要我务必为他引见张文环氏。
我也得完成理事之任务。
早上细雨蒙蒙,天气变冷,被一阵孤寂感觉笼罩着。
晚饭后把孩子集合在山房,放唱片给大家听,古老的乐曲引起我一阵怀念和回忆。
想排遣这种忧郁和沉闷,想找徐清吉君过来下棋,但他回下营去了。
想找谢得宜过来聊聊,但他也回学甲去了,不在。
就找甘惜娇女士过来,问她一些以前提过的那件事。
为了孩子的教育,还有妹妹的未来,想早日把这件婚姻做个决断。

【注】
【1】大东亚文学者大会:“日本文学报国会”为确立日本主义的世界观,连续召开三次的“大东亚文学者大会”。
第一次于1942年11月3日至10日在东京举行,在台作家参加者有:西川满、龙瑛宗、滨田隼雄、张文环四人,张我军则以“华北”代表的身分参加大会。
第二次于1943年8月25日在东京召开,台湾代表者为斋藤勇、长崎浩、杨云萍、周金波。
第三次于1944年11月12日在南京召开,台湾未派代表参加。

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