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日本ニュース 第131号

1942年(昭和17年)12月10日

[1]畏し皇后陛下 陸海軍病院行啓 02:01

かしこくも皇后陛下には、陸海軍傷病傷兵御慰問のありがたきおぼし召しをもって、12月3日横須賀海軍病院、翌4日臨時陸軍第一病院に行啓あそばされました。

前線に立てし赫々(かくかく)の武勲を誇らず、ただひたすらに療養の道を励む傷病勇士は、陛下の御仁義に恐懼(きょうく)感激。ますます奮励努力、再起ご奉公の誓いを新たにしたのであります。

(病院行啓の様子)

[2]昭和十七年十二月八日 今日ぞ決戦第二年 05:26

戦い抜け大東亜戦争。決戦第2年目へ、国民総進発の8日は力強く明けて、肌を刺す寒気もなんのその、凍る玉砂利を踏んで宮城前広場に結集する赤子の波。

「天皇陛下万歳、万歳、万歳。」

(行進の様子)

陸軍戸山学校軍楽隊が吹奏する、勇壮な行進曲の楽の音に、国民の士気はいやが上にも高まり、町々に米英打倒、戦い第2年をも必勝の信念もて勝ち抜かんとする決意漲(みなぎ)って、この日帝都は感激のるつぼと化す。

民一億の思い、必勝の一点に集まる午前11時59分。国民よ想起せよ、昭和16年12月8日。

「黙祷(もくとう)。」

午後2時、護国の英霊神鎮まる靖国の社頭に、大東亜戦争1周年記念国民大会中央大会厳粛に開催され、3万の大衆ここに集いて、東條首相の演説に、宣言決議に、銃後国民の烈々たる意気を示す。

<東條首相>

「国民諸君、かしこくも米英に対する宣戦の大詔を拝しましたのは、昨年の実に本月本日であります。帝国の隆替、東亜の興廃、正にこの一戦にありと一億国民が必勝の信念の下、一切を捧(ささ)げて国に報い、国に殉ぜんことを誓ったのは実に本日であったのであります。

今や国民のひとりひとりが各々(おのおの)その持ち場において、振るうひとつの槌(つち)も、ひとつの鍬(くわ)も、直ちにこれ前線の戦力に全に影響しつつあるのであります。

諸君が、毎日毎日の生活における一挙一動が、明日とは言わず、いざ今日ただいま、前線の戦闘力を左右しておると称しましても過言ではないのであります。」

「天皇陛下、万歳、万歳、万歳。」

[3]前線偲ぶ攻防演習 02:32

多摩の清流を押し渡る機動舟艇隊。巡り来る大東亜戦争1周年。あの日のマレー電撃戦もかくやと、日ごろ錬磨の陸軍魂を実戦さながらに展開する、近代立体攻防演習が12月6日、近衛師団によって東京多摩川河畔に行われた。

(攻防演習の様子)

飛び来るは戦利爆撃機、空の要塞(ようさい)。それを迎え撃つ我が隼(はやぶさ)号戦闘機との凄烈(せいれつ)な空中戦。あるいは同じ戦利機バッファロー。P40の配置攻撃が繰り広げられれば、地上には攻防両軍、秘術を尽くして近代戦の妙を余すところなく発揮する。過ぐる1年、南に挙げし皇軍赫々(かくかく)の勇戦奮闘はかくの如(ごと)し。たゆまざる猛訓練に、決戦第2年を迎える帝国陸軍、毅然(きぜん)たり。

(攻防演習の様子)

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