日本ニュース 第127号
1942年(昭和17年)11月10日
[1]天皇陛下行幸 皇后陛下行啓 光栄の神宮大会 03:12
菊薫る11月2日、かしこくも天皇皇后両陛下には、親しく明治天皇の御神霊に御拝(ごはい)あらせられた御後、第13回明治神宮国民錬成大会に臨御あらせられました。
この日、三笠総裁宮殿下をはじめ奉り、光栄に胸震わす5000の役員、選手、10万の観衆、粛然襟を正して奉迎申し上げる中を、両陛下には御機嫌ことのほか御麗しく、正面御座に臨御あそばさる。
小泉会長、恭しく御前に奉迎書を朗読。
<小泉会長>
「天皇陛下万歳、万歳、万歳。」
かくて天覧並びに台覧の光栄に浴するこの日の特別演練は、増産戦線にたくましい進軍を続ける産業戦士の集団銃剣道をはじめ、健民の敢闘譜の数々でありました。大東亜戦争完遂の国民の意気を中外に宣揚、もって聖慮に応え奉ったのであります。
(大会の様子)
[2]大東亜文学者大会 01:40
情報局後援の下に、日満華三国の文学者一堂に会す大東亜文学者大会は、明治節の佳き日を期して東京にその輝ける発会式を挙げました。
中華民国代表銭稲孫、周化人の両氏。満洲国代表バイコフ氏、古丁氏。
皆等しく大東亜戦争下、かくも盛大な大会を開いた日本の国力をたたえ、佐佐木信綱氏は遠来の友を迎えて自作の和歌を朗唱。斎藤瀏氏一堂を代表して宣誓を行う。
引き続いて本会議は4、5の両日にわたって開かれ、参会者一堂は真剣なる討議を続け、八紘一宇の大精神の下、アジア文化の進むべき道を求めて意見を交換。
「われ等(ら)アジアの全文学者、日本を先陣とし、生死を一にして偉大なる日の東洋に来らんがため力を尽さむ。右宣言す。昭和十七年十一月五日 大東亜文学者大会」
[3]南京を飾る大東亜博覧会 01:25
日華提携の契り、いよいよ固き新中国の首都南京に、11月1日(いちじつ)からアジア解放の聖戦を目の当たりしのぶ、大東亜戦争博覧会が開催されました。
汪主席は我が支那派遣軍総司令官、畑大将とともに会場を訪れ、鹵獲(ろかく)兵器に大パノラマに、盟邦皇軍将兵の築いた勝利の記録をたどり、意義深き秋晴れの一日を過ごしました。
(博覧会の様子)
[4]ビルマ防衛軍 幹部候補生隊 01:12
ここビルマ防衛軍幹部候補生隊では、皇軍教官の厳格なる指導の下、全ビルマ民衆の與望(よぼう)を担って訓練に勤しむ凛々(りり)しい候補生の姿が見られます。
一日(いちじつ)、ビルマ方面陸軍最高指揮官、飯田将軍は同隊を訪れ、皇軍将兵に劣らぬ彼らの士気と武器の急速な進歩の跡を満足気に視察の後、あっぱれ歩武堂々の分列行進を閲兵いたしました。
[5]南太平洋海戦 03:05
<字幕>
「戦果
第一ソロモン海戦から南太平洋海戦まで戦艦 撃沈1、大中破3
空母 撃沈5、大中破4
巡洋艦 撃沈16、大中破5
駆逐艦 撃沈14、大中破4
潜水艦 撃沈9、大中破1
掃海艇 撃沈1、大中破1
船型未詳 撃沈1、大中破0
輸送船 撃沈16、大中破3
合計 撃沈63、大中破21」
帝国海軍は、10月26日黎明(れいめい)より夜間にわたり、サンタクルーズ諸島北方洋上において敵有力艦隊と交戦、これに殲滅(せんめつ)的打撃を与えた。
第一次、第二次ソロモン海戦に致命的打撃を受けながら、その豊かなる資力に頼り、常に勝算なき戦いを挑むアメリカ海軍は、自ら放ったソロモン海戦大勝利のデマ宣伝を糊塗(こと)すべく、南太平洋水域に再び三度、蠢動(しゅんどう)を繰り返す。
時はよし、アメリカ海軍記念日を2日の後に控えた10月26日。思い上がったアメリカ国民にこよなき贈り物を与えるべく、将兵の士気まさに天を突く。我が無敵艦隊は舳艫(じくろ)相銜(あいふく)んで不遜(ふそん)なる敵艦隊に襲いかかった。
この海戦の戦果、撃沈せる軍艦6隻、撃破せるもの5隻、飛行機200機以上を喪失せしめ、我が光輝ある海戦史を華飾るとともに、アメリカをして、100の巨艦より1人の大提督なきを嘆(たん)ぜしめたのであります。
