吴新荣日记>19421026
今夕、今年高等文官に及第し、直ちに总督府に就职せる佳里兴の庄维藩君を欢迎する为めに、佳里兴の青年达二、三十名が富士阁に于いて祝宴を开いたので、自分も特に参加した。
北门郡に于いて司法科は北门の柯南献氏が第一番であるが、行政科はこの庄维藩君が第一番であるし、又若くしてこの荣冠を获得出来たのは彼の家系の优秀さと佳里兴と云ふ土地の伟大さに依ると云はねばならない。
富士阁に于ける祝宴が济んだ后、庄君は乐春楼に于いて谢宴を开くと云ふので、场所を换へたが、丁度台南から郭水潭君が归って来たし、皆も酒意盛んになったから、今度は自分が西美楼に招待することになった。
参加して下れたものは庄维藩、郭水潭两君を始め庄茂竹、许先景、庄士永、庄金铃、李阳池、林精镠、庄火山诸【君】の外尚数名あった。
夜迟く迄になって归って来ると、父亲は谢得宜君が麻豆の件で来访、郭家の父母、亲娘は皆承诺したと传へて下れたと云はれた。
今夕,今年高等文官考试【1】及格,行将赴总督府就职的佳里兴出身的庄维藩君,由佳里兴的青年朋友二、三十人于富士阁设宴欢迎庄君,我当然要参加。
在北门郡内,司法科以北门的柯南献【2】氏为第一位;
行政科方面,则庄维藩君是第一位。
如此年轻能得此荣魁,是因他有优秀的家系,和佳里兴这伟大的土地。
富士阁的宴会结束后,庄君换在乐春楼设宴回礼,正好郭水潭从台南回来,大家酒兴大发,我就招待大家到西美楼。
参加者除了庄维藩、郭水潭、庄茂竹、许先景、庄士永、庄金铃、李阳池、林精镠、庄火山等人之外,还有几位。
夜深了,回家之后,父亲说谢得宜君为麻豆郭家事来访,郭家父母及女儿都已承诺云云。
【注】
【1】高等文官考试:日治时期的文官考试制度,分“普通文官考试”与“高等文官考试”。
“普通文官考试”由总督府设立之“文官普通试验委员会”依法自行办理,而“高等文官考试”则统一由日本“文官高等试验委员会”办理。
1922年嘉义刘明朝毕业于东京帝大政治科,随即通过高等文官考试,为台人首位通过高等文官考试者。
【2】柯南献(1904-?
):台南县北门乡人。
日本明治大学法科毕业。
高等文官考试司法科及格。
台南著名律师,北门乡出身第一代的律师。
1931年于台南开业律师事务所。
战后曾任台湾省台南市西区区长。
