年月日:1942:19421006:19421006-t-jpn-dea-002-日本新闻



日本ニュース 第122号

1942年(昭和17年)10月6日

[1]貯蓄遂に五百億突破 03:11

国民貯蓄、遂に500億を突破して、銃後の貯蓄増強功労者並びに優良団体の表彰式が、9月30日首相官邸で行われました。この日、初の総理大臣賞を受けたのは、個人20名、団体11。まさに銃後の殊勲甲であります。

次いで、大蔵大臣賞が賀屋蔵相から贈られました。

「聖戦完遂のため、一致協力、国民貯蓄の増強に努め、その成績誠に顕著なり。よって、500億貯蓄達成を機とし、ここにこれを表彰する。昭和17年9月30日。大蔵大臣正三位勲二等、賀屋興宣。その他同文です。」

表彰の感激を、磯村さんが代表して、次の如く答辞で述べました。

「私どもは一億協力の偉大さを今さらの如く強く感ずるとともに、この国民貯蓄によってこそ、真珠湾攻撃の飛行機も、マレー作戦の戦車もでき上がったことを知って、ひしひし喜びを感ずるものであります。申すまでもなく、国民貯蓄は総力戦下、一億国民の必ず果たさなければならぬ、銃後の責務であります。また、何人でも成し得られるものであります。私どもは、その責務の一端を果たしたるにすぎませぬ。」

日本の兵隊さんは、なぜ強いか。それに立派な答えを与える、広東の前線貯蓄風景です。敵に負けないばかりではない。銃後にさえも負けまいと、南支那にいる兵隊さんが昭和16年度に預けた額は、実に1000万円を突破。作戦が済むと、鉄兜(てつかぶと)の兵隊さんで郵便局はいっぱいになるといいます。前線の勇士に負けるようなことがあったら、銃後は何と言ってお詫びできるでしょう。

[2]荒波越えて海洋筏都入り 01:32

遙けくも荒波越えて、1000海里。北海道から引き船式海洋筏(いかだ)で、松の原木1800本あまり、約2000tが東條首相以下の待ちわびる東京港に、9月29日無事姿を見せました。

船の経済的運営と海上の輸送力増加という一石二鳥の名案は、陸軍省経理局建築課の考え出したもの。見事、長距離輸送に成功して、東條首相はもとより、井野、寺島、鈴木の各大臣関係者の喜びは非常なものでありました。この筏(いかだ)の組み方は、この日到着した籠型のほかに色々考案されていますが、今回の成功によって、来春から本格的実施に乗り出すはずであります。

[3]昭南島に忠魂碑建立 01:25

血と肉弾の激闘をしのぶ昭南島ブキ·テマの高地。即ち今は名を改めた武夷山に、永久(とこしえ)に薫る英魂を称えて、高く天を指す忠魂碑が、ともに戦った戦友の手によって竣工(しゅんこう)した9月10日、その除幕式が行われた。シンガポール攻略戦は、史上希に見る激戦であった。憎むべき敵ではあったが、敵もよく戦った。されば明けて11日、我が軍の手によって竣工(しゅんこう)した十字の慰霊碑除幕式が行われた。イギリス兵の俘虜がこれに詣でた。彼らはしみじみと日本軍の武士道を身に感じたであろう。

記念すべき除幕式の後で、奉納相撲が猛烈果敢に取り組まれた。しかし、日本軍の温情は、同時に俘虜の上にも惜しみなく、拳闘大会を開かせた。この大会こそは、物質文明にのみ生きたイギリス兵が初めて味わう精神の世界であったろう。

[4]そして俘虜は日本の武士道に甦生する 02:44

ここはフィリピン、マニラ市にほど近い、ストッチェンバーグの俘虜教育所。かつてアメリカの手によって容易くも東洋人の心を投げ捨てたフィリピン兵の俘虜が、恩威兼ね備わる日本の武士道に更生の道を見出して、再び東洋人に返ろうと努めている。

努力虚しからず。9月18日、3000名に余る卒業生がバルガス行政府長官の祝辞を受け、熱烈たる更生の意気に燃えて、フィリピンの再建に巣立つことになった。今年6月、全比島の戡定(かんてい)作戦成るまで、恐らくは日本軍の俘虜となる運命以外に、今日の生き甲斐ある日を彼らは予想し得なかったであろう。されば、卒業式を飾る晴れの分列にその足取りは勇ましく、感謝は深く、やがて待ち受けている巡警隊勤務に、大東亜圏建設の熱意を彼らは傾けるであろう。

「イギリスの搾取のもとに、いよいよ貧乏な生活を続けながらも、向上の希望を持つ若い私どもは、戦争のために犠牲に供せられるとも知らず、巧妙なイギリスの誘惑に引っかかって軍隊に入った」。読み上げるビルマ人の俘虜の声に力が入る。これは、先頃ラングーンで行われた、迷えるビルマ兵の俘虜解放式である。彼らの同朋が日本軍に協力しているとき、彼らは誤ってイギリス軍に参加していた。しかし、彼らに罪はない。一日も早く日本に力を合わせたいと願うビルマ兵は、懇ろな訓練を受けて、捲土重来、共栄圏建設の戦士たらんことを誓いながら、あるいは故郷へ、あるいは新しい職場へ、解放されていった。

[5]松花江に豊満ダム建設 01:48

朝鮮と満洲国の境、白頭山に源を発した第二松花江が山岳地帯からまさに大平原に臨まんとする山峡に、世界で一二を争う豊満ダムの建設が、目下着々と進められています。

巨大なタービンを据え付けて、膨大な水力発電を狙うこの工事は、満洲国が国営で行いつつある水力発電計画の第一期工事で、昭和12年11月に工を興したものであります。ここに作られるダムは高さおよそ100m、長さ1000m。水を堰き止めてできる湖は、我が国の霞ヶ浦の約3倍にあたり、完成の暁には、北はハルビンから南は奉天に至る広大な地域に送電することができ、同時に下流地方一帯は例年起こる水害から免れ、16万町歩の開墾が可能となります。

年月日/1942/19421006/19421006-t-jpn-dea-002-日本新闻.txt · 最后更改: 2024/07/14 00:41 由 127.0.0.1