年月日:1942:19420912:19420912-h-roc-s27-006-吴新荣日记



吴新荣日记>19420912

今日も防空の训练があったが、出なかった。
雨の为めでもあるが、自分としては出る气がなかった。
どうしても今日はこの佳里を离れ【ね】ばならないからだ。
この逃避行はもと子供达と妹も一绪になって贳ふ积りであった。
雨で关子岭では危险だったら、台南へでも行って映画を见る积りである。
然し防空の演习中では妇女子供では不便なので彼等の同行を断念した。
それで自分だけだ[で]午后七时のバスに乘る为めに新【た】に合同した兴南自动车会社の佳里营业所へ出向いた。
そこで木炭がないので、发车が迟れるとのことが分かったので、人力车で社线に乘るべく走し[っ]て行った。
行って见ると、时间割改治[正]で七时の汽车がないと云ふので、又戻って来た。
终バスが八时に出るといふことであったが、会社の无统制と从业员の怠慢で、とうとう九时过ぎになってから发车しようとした。
その时に训练空袭警报があったので、又出发を延期したが、ともかくどうにか车が动き出した。
余程この车に乘るのを断念しようとしたが、急用があるわけでなし、又どうしても今日のうちに佳里を出なければならないと云ふ决心があったから、三时间も我慢したわけである。
车は动かしたものの西港に至って又空袭に逢ひ、中洲寮の手前に[で]とうとう瓦斯を使ひ尽して停车した。
そこで仕方がないから派出所迄步いて、应援车を赖むべく电话を借りようとした。
然し不幸にも电话が不通なので、又驻在所の电话を借りた。
それも同じく不通だった。
时间は已に十二时近くなったので、とにかく台南まで步いていく决心をしたら、运か向ふからハイヤーらしいものが见えた。
近寄って见ると、合同のもので先の运转手も车掌も皆乘り迂んでゐる。
癪に触ったので运转手を引张り出して人质とし、この应援车が早く来る样にこのハイヤーを赖んだ。
その间にじっとして【も】仕样がないから、步きながら待つことになった。
然し和顺寮迄步いてもとうとう应援车が来なな[か]った。
その间に乘客のあるものは饥饿の为め、あるものは疲劳の为め、步けなくなるものが出た。
それで和顺寮の庙で休息したが、应援车は依然として来なかった。
とうとう待ち切れなくなって、又步いて行こうと提议したが、吾につくものは二人だけだった。
心细いが、盐水溪を越え[れ]ば六甲顶だ。
六甲顶に至れば次は台南だと思って、とにかく步き出した。
然し盐水溪に至って见ると、溪水は氾滥し通れなくなった。
それでは应援车が来る望【み】もないので、又戻って和顺寮の庙で夜明けしようと思った。
その时に遥か向ふから轰音やって来るのをきいたが、始めは货物车と思ったが、とうとう本物の应援车が来た。
それでそれに乘り迂んでまた中洲寮迄戻って落伍者を拾った。
これで安心して台南迄着けると思ったが、このガソリン车は陆军茔地の前で又故障を起した。
雨は依然として降ってゐるが、谁も又顽张るとは云はなかった。
それで实に闇夜の上に灯火管制をしてゐるから、その中に步いて町へ入った。
奇珍兄の宅に着いた时は已に午前の三时であったが、奇珍嫂は起きて米羔[糕]を食はして下れた。
今天也有防空训练,没出去参加。
因为下雨的缘故吧,总不想参加,一心想着今天一定要离开佳里,这“逃避行”【1】本来想把孩子和妹妹都带去。
下雨天到关仔岭有些危险,至少到台南看场电影也好,但是在防空演习中,妇女小孩不方便,只好我独行。
到新组成的兴南自动车会社【2】佳里营业所搭七点的巴士,但因没有木炭,开车时间会迟延很久,所以叫人力车,赶到社线的乘车站。
到站看时刻表,时刻表已更改,七点无班车,又回到原地。
最后班车是八点,但因自动车会社管理欠佳,从业员怠慢,终于过了九点才要开车。
这时又发出了训练空袭警报,出发时间又延迟了。
最后总算出发了。
本来已不耐烦得不想去了,并非有要事,但既已下决心今天一定要离开佳里,才忍了三个小时。
到了西港,又遇到空袭;
在中洲寮之前,因瓦斯用尽,车又停了,进退不得,只好步行到派出所,借用电话,拜托支援车子。
可是电话打不通,又到驻在所借电话,也是不通。
时间已近十二点,只好决心步行走到台南,也许好运气,看到前面有辆像似包车,走近一看,坐的是公车的人,司机、车掌都坐在车里。
一时气不过,把司机拉出来当人质,要他们快叫支援车赶快开来。
此时光等也不是办法,就边走边等。
但走到和顺寮,支援车还是不来。
一起步行的人有的肚子饿,有的太累走不动了,就在和顺寮庙中休息一下,还是等不到支援车,无法再等下去了,提议大家继续走,只有两个人愿意跟我走。
心中不安,但越过盐水溪就是六甲顶,到了六甲顶之后就是台南了。
心中这样想着,又开始走了。
但到了盐水溪,已是溪水氾滥,根本无法通行。
支援车根本没希望,只好再走回和顺寮庙中休息,等待黎明。
此时远方传来巨响,以为是货车,原来是真的一辆支援车,于是大家坐上去,开回中洲寮,捡了脱落队伍的人。
就此放心,以为可直达台南了,但这部汽油车在陆军墓地前又故障了。
雨依然下着,但没有人愿在车上苦等。
因此在暗夜中,又是灯火管制下,摸黑走到市区。
到了奇珍宅已是深夜三点钟。
奇珍嫂起床,请我吃米糕。

【注】
【1】逃避行:日语。
为逃避烦恼而远离家门。
【2】兴南自动车会社:即兴南乘合自动车株式会社,今兴南客运的前身,创立于1941年,系由日治时代经营轻便铁道之台湾轻铁株式会社、新化轨道株式会社及佳里商会合并而成。
主要是行走于台南市与北门区六乡镇之间。
战后改称兴南客运股份有限公司。

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