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日本ニュース 第118号

1942年(昭和17年)9月8日

[1]東条首相 遺児団激励 02:06

東條首相は9月5日、満洲国建国に尊い命を捧げた建国功労者の遺児、飯塚正義君ほか115名を官邸に招き、十周年式典慶祝会総裁として、遙々(はるばる)、新京の式典に参加する遺児団に団旗を授与、晴れの門出を祝って、次の如く激励の言葉を贈りました。

「諸君はこのたびの尊い感激により、さらにその覚悟を新たにせられ、さらにその誇りをしっかりと肝に銘じ、以てご父兄の遺志を立派に受け継がれるのみならず、さらに、さらに頼もしき日本人となり、十分お国の役に立つ人となられんことを希望する。」(音声中断)

遺児たちは、翌6日宮城前に整列。恭しく皇居を奉拝。松井慶祝会事務局長の発声で聖寿(せいじゅ)万歳を奉唱。ここに意義深い結団式を終わりました。

[2]海鷲の雄魂神鎮まりませ 01:37

珊瑚海海戦に、ポートモレスビー爆撃に、その猛威を謳われ、アメリカ、イギリスをして、顔色なからしめた海の荒鷲。その勲しは永久(とこしえ)に薫り、不滅の武勲は長く正史に刻み込まれるでありましょう。されど、戦いの常として大空に散華、悲しくも雄魂、護国の神となって南の基地に帰るあり。椰子の葉陰にしばしの憩いを祈りつつ、8月12日、現地部隊の告別式がいと厳かに執り行われたのであります。一死以て君国に捧ぐ、もとより生還を期せず、尊くも勇士たちは莞爾(かんじ)として南太平洋に散華したことでありましょう。告別の式を終わり、戦友の胸に抱かれて、英霊は静かに南の基地を去るのでありました。懐かしの母国へ、靖国の御社(みやしろ)へ、数々の手柄話に彩られて、我々国民は偉大なる戦果の影に忠勇(ちゅうゆう)無比の英魂の我々を守り給えることを忘れず、深き感謝の祈りのうちに日々を送らねばなりません。

[3]共栄圏 反英印度人大会 02:38

「祖国を我らインド人の手に返せ。イギリスを打倒せよ。」国を奪われた民族、インド人の雄叫びはもって一丸となり、8月15日、バンコクにインド独立連盟総会が開かれました。共栄圏に住む200万から選ばれた代表、一堂に会し、遙々(はるばる)、日本から馳せ参じた総裁ラス·ビハリ·ボース氏を座長に熱血の反英抗争を獅子吼(ししく)する。その勢威、大東亜から全く地を掃ったイギリスは、しかもなお宝庫インドに鞭をふるって頑張っている。されば、代表は今後も叫ぶ。「我らのインドは勇敢に行動する者にのみ与えられるであろう」。(音声中断)

ガンジー、ネール、アラットら、国民会議派領袖逮捕の報を得て、昭南島に反英大示威行進が行われました。自由か死か、スローガンを高々と掲げて、イギリスがかつて東亜侵略の本拠地と頼んだこの土地に、5万のインド人は練り歩く。

世界の体制は変わった。時は今である。祖国に死を賭して戦う彼らの同胞に声援を送りながら、イギリス追放の必死なる戦いは刻々、高まっていくのであります。

[4]活気漲る復興蘭貢 03:50

パゴダ燦然(さんぜん)と輝くビルマの首都、ラングーン。今、馬車の轍(わだち)の音、この都大路に平和な響きを伝え、僅か半年前に皇軍の精鋭が死闘を繰り返した新戦場とも思われぬのであります。既にして、ビルマ中央行政府なり、ビルマ防衛軍奮い立つ。治安は着々と回復の一途を辿って、かつて暴虐なる敵軍が、人の気配もない無惨なる廃墟と化した街並みには輝かしい復興の気がみなぎり、昔に変わらぬ雑踏と賑わいが取り戻されていきます。イギリス軍が破壊して逃げ去った自動車工場も優れた皇軍の技術によって瞬く間に修理され、有志の指導を受けて精密な機械の操作を学ぶビルマ人が、日一日と増えていく。

かつて、あまり勤勉ではないと言われたビルマ人の姿は既になく、ミシンにしがみついて懸命に立ち働く女性にも逞しい共栄圏建設の意欲がみなぎっています。

ビルマで一番大切な産物、米の生産も昔に戻り、ラングーンの大きな精米所は運転を開始しました。

ここから共栄圏の人たちに、雨季の後、濁水溢れるイラワジ河を乗り切って、十分な食料が運び出されるのであります。元気に満ちて勇ましく、復興と建設に邁進(まいしん)する今日この頃のラングーンの姿こそは、大東亜共栄圏の重要な一点たるに相応しく、頼もしい限りであります。

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