吴新荣日记>19420717
《民俗台湾》同人に招待さる
。
今朝、昨日来の强风も少し止んだので、陈逸松君の案内でその广壮の山庄を一巡りした。
その为めに腹も大分减ったので、おいしく朝食を摄った后、十时のバスで下山した。
御成町に着いた时、先づ石锡纯君の留守宅を访ね、次に谢振声君を访ねた。
それから谢君と连温卿氏を访ねたが、やはり不在なので、后辈の李祯祥君を访ねた。
それで杨逵、吕赫若と合せて五人で山水亭へ行って午食を摄らうとしたが、そこには杨氏千鹤さんが已に来て待ってゐた。
やがて王井泉君が来て、宗原宽兄が来てゐると知らせて下れたので、午后二时の汽车で归南する预定を延期した。
又そこである画家の壮行会に出てゐる金关丈夫、中村哲两教授、池田敏雄君等に会った。
それで台北に来て会ひたい人は皆一应大体会ったのである。
然し陈绍馨君が今晚《民俗台湾》の同人が欢迎すると云って来た。
それで杨逵君、谢振声君と一应古亭町にある陈绍馨君宅に赴き、一风吕浴びてから又出直した。
会场はやはり出[山]水亭であるが、集って下れた人は金关主干、池田编辑者、陈绍馨君、立石铁臣画伯、松山政一写真师等であった。
お客は私の他に杨逵君と吕赫若君もあったので、私は早速サインブックを出して皆に署名して贳った。
そこで实にしとやかな会食が济んでから、彼等と别れ、谢振声君と先辈郭水泉君を访ねた。
郭君は实に卒业して以来十二年振なので非常に喜ばれ、艺妲间仔に招待された。
やがて时は已に迟くなったので、私は皆と别れ、城内の山梅旅馆に宗原兄を访ねてそこで泊った。
二人は金关博士から赠られた本月号の《民俗台湾》を见ながら迟く迄语った。
同志には吾等の集っ[め]た原稿で北门郡特辑号を出してゐるのである。
尚今日、黄得时君から彼の著《水浒传》卷一を赠られた。
接受《民俗台湾》同人的招待
。
昨日以来的强风,今早已减弱许多,由陈逸松君导览,浏览了他壮丽的山庄。
已有点饿了,吃了美味的早餐后,坐十点的巴士下山。
到了御成町,先访石锡纯的居家,然后去拜访谢振声君。
然后和谢君一起去拜访连温卿氏,仍然不在家。
之后拜访学弟李祯祥君。
然后和杨逵、吕赫若等五个人到山水亭去吃午餐。
杨千鹤小姐已先到了,不多久王井泉君也来了,他告诉我宗原宽兄也来台北了。
本来想坐下午两点火车回南部,只好延期。
在山水亭遇到为某画家开壮行会的金关丈夫、中村哲两位教授和池田敏雄等,可说在台北想见面的人都见过了。
但陈绍馨来告诉我,今晚《民俗台湾》的同仁要请我。
于是和杨逵君、谢振声君到陈绍馨君宅去,洗过澡再出门。
会场仍然在山水亭,与会者有金关主干、池田编辑、陈绍馨君、立石铁臣【1】画伯,松山政一摄影家等。
客人是我、杨逵君、吕赫若君。
我就拿出签名簿请他们一一签名留念,在这里优雅的聚餐之后,和他们道别。
和谢振声君同去拜访学长郭水泉君。
和郭君自从毕业后已十二年不见了,非常高兴,招待我到艺妲间仔去。
时间已不早了,和大家道别,到城内山梅旅馆找宗原兄,并住宿于此。
两人看着金关博士相赠的本月号《民俗台湾》,聊到很晚。
这一期有我收集原稿而成的“北门郡特辑号”。
另外,今天黄得时君送给我他所著的《水浒传》【2】第一卷。
【注】
【1】立石铁臣(1905-1980):雅号立石青玄,日本人。
生于台北市,其父立石义雄时任台湾总督府财务局事务官。
1911年入台北市第二小学校,因父亲调职,举家迁回内地。
1921年明治学院中学部毕业后,入川端画学校。
1926年转学洋画,师事岸田刘生。
1929年,岸田刘生殁后,师事梅原龙三郎。
1934年二次来台,首次参加第八回台展,以“大稻埕风景”、“晴天的淡水”获“台日赏”。
同年与台籍画家杨三郎等人创设台阳美术协会,为该会唯一之日人画家。
1936年归国。
1939年定居台湾,任职台北帝大理农学部嘱托。
1945年受聘
【2】《水浒传》:黄得时根据金圣叹的七十回本,改写成日文,1939年起连载于《台湾新民报》及《兴南新闻》。
1941年9月30日由清水书店发行第一卷。
